【さすが集英社】「ジャンプの漫画学校」への期待

集英社ビル

先月、確か5月の第2週ぐらいですか?

前々からの大した予告なく、結構唐突に集英社が「ジャンプの漫画学校」を開講するという情報を発表しました。

私はこれに相当な期待をしている訳です。

「やってくれたか集英社、さすが集英社」と。

(↑どこから目線???)

なぜ、私がこれに喜んでいるのかということは重要なので書きます。

「ジャンプの漫画学校」とは

この記事にたどり着くような人は既に知っているだろうと思いますが、一応。

公式サイトを見て頂くのが早いですが、

「ジャンプの漫画学校」とはその名の通り「集英社主催で・プロアマ問わず漫画作家に対して・編集やジャンプ作家が漫画の講義を行う」という試みです。

『暗殺教室』の松井先生をはじめとした豪華ジャンプ(プラス)作家陣に加え、齋藤編集・中野編集長といった有名編集者が全10回のテーマ別講義を講師として担当して、22000円(税込み)!!

これはスゴイ!!

漫画作家だけでなく、漫画ファンの中にも聞いてみたいという人はいるのでないでしょうか。

今回は50人という限られた枠しか設けられておらず双方お試しという感じでしょうが、今後人数を増やしてオンラインでの配信とかあってもいいんじゃないのか?と期待しています。

ジャンプ本気出してきたなって

近年の集英社が人材発掘や育成に力を入れているというのは、ジャンププラス(オンライン)の企画や取り組みを中心にヒシヒシと感じるところです。

覚悟を持った天才が編集部への持ち込み・投稿から経験を積んでデビューするという従来の王道一本道の入口を広げて、何とかして才能ある作家を集英社に引き込もう、漫画業界を盛り上げようという気概が感じられます。

これには時代の変化もありますが、大きくは週刊少年ジャンプの人材不足に対する危機感を編集部が肉感をもって感じ始めたからではないかと思います。

思い切って言い換えてしまうと「『ONEPIECE』の穴をどう埋めるか」ということを編集部は考えているのだと思います。

やはり、これまでの週刊少年ジャンプの発行部数推移を見ていても『ドラゴンボール』・『スラムダンク』・『NARUTO』などといった大ヒット作品が終了すると発行部数がガクッと下がります。

出版社の根幹である雑誌発行部数が大きく下がると、その影響は『ONEPIECE』に留まらず業界全体にまで波及するので、何とかして編集部は二の矢を用意しておきたい訳です。

『ドラゴンボール』が終了した後にはタイミング良く稀代の大天才、尾田栄一郎先生の『ONEPIECE』がジャンプを支えましたが、今その物語は終わりに向かって進んでいます。

フィッシャーズのインタビューでは「5年以内に終わらせたい」とお答えなさっていましたが、尾田先生的にも「もう長くは走れない」のでしょう。

恐らく2010年頃にはまだ編集部もその事態を楽観視していて「また天才が現れるだろう」と考えていたのでしょうが、もう待つだけではいけない、そんな具体的なタイムリミットが見えてきて本気を出し始めたのでしょう。

私の考えと集英社への期待

まあ上記の内容は私の憶測ですので、実際どういった考えや背景があって集英社が「ジャンプの漫画学校」を開講するに至ったのかということは分かりません。

(↑その場に行けたら絶対編集長に質問したいなぁ)

しかし私からしてみるとそのような流れと試みは当然で、腰を上げたことには「さすが集英社」だと思う一方「ようやくか」とも考えるんですよ。

なんせ「編集が漫画家を育てるべき」・「それは長期的に企業の利益になる」という考えは私が就活で集英社を受けた時から持っているのですから。(エントリーシート1枚目にそう書いています)

集英社がようやく私に追いついてきましたね(*^^*)

(↑だからどこから目線やねん!!)

さて、そんな私の主張・考えは以下の3つです。

①これからの時代は作家を育てる必要がある。そのために「マニュアル」を用意すべき。

②作家は自身の作品で説明できる部分はキチンと説明すべきである。それをしないで来たのは高慢で怠慢。

③以上を集積した創作用の「ポータルサイト」を世界規模で作るべき。

これからの時代に天然物の大作家は現れない(はず)

編集部が人材の積極的な育成・発掘を行うようになった背景には、これまでのように口をただ開けて待っていても傑出した天才が来なくなったことがあります。

これは漫画家という職業に才能あふれた人材が流れにくくなったのもあると思いますが、そもそもそのような人材の絶対数が少なくなっているのだと思います。

その例として、ここでは詳細に書き出しませんが、一度ジャンプ作家の年齢と出身地を調べてみて下さい。

2つの特徴が示唆されます。

1つは、少年期を田舎(遊び方が少ない)で過ごしたであろう方が多いことです。

もう一つは、少年期からインターネットにがっつり触れている世代ではないことです。(期待の若手エース、芥見先生で1992年生まれ)

要はこれまでのジャンプ作家は、少年期に十分に想像力(創造力)を働かせる余地があった世代です。

本筋から逸れてしまうので詳細な検討は行いませんが、「想像力(創造力)は情報・物質が不足しているから働く」傾向は間違いなくあると考えていて、それがギリギリ出来ていた世代です。

一方これ以降(2000年生まれぐらい)の世代からは、情報へのアクセスが容易になり、情報が集約されつつある情報化社会で育ったことになります。

この世代が未来を引っ張っていく訳です。

この世代は分からないことがあれば直ぐにインターネット上で情報を得ることが出来ます。見たこともない他者と簡単に上辺の交流をします。そして得た情報が世界の真実/不真実だと思っている世代でもあります。(見たいものしか見ないからそれが真実/不真実であるのは当然)

断言してしまいますが、そのような世代からはこれまでのような流れで大作が生まれることはあまり期待できないと考えます。

なぜならば、想像力(創造力)の働きが無意識のうちに阻害されてしまっているからです。

今後の時代に大作家が生まれる可能性があるとすれば田舎の貧乏人か、アジア圏外の人間だと思います。

これは天然記念物なのでキチンと保護する活動を並行して行うべきです。

しかし代わりにその世代は情報を統合する能力に長けていると考えていて、一定の「マニュアル」に沿って育成してやれば、上手くまとまったニッチな作品がコンスタントに作れると思うのです。

それにいくら「マニュアル」を用意しようが、天才というのは必ず現れるものです。

これからはお金になる秀才を最低限逃すなということです。

言語化できる部分ぐらいは共有しませんか?

作家に限らず広く芸術家というものは、どうしても言葉では表現できない感覚を扱うことになります。

そして、それは芸術家が真摯にその表現方法に向き合うからこそ得られる感覚であり、それを「言葉にすることはできない」と言うのを否定する気は毛頭ありません。

しかし、私はそれにかまけて言語化できる構造的な部分まで他の人間に継承しない・共有しないというのは関わる芸術に対してとても不誠実なことだと考えています。

自信が世話になった芸術の発展を願っていない訳ですから。

また、ひいてはその人自身すらも貶めています。

自分がそれまでに培った感覚は、単なる手法の模倣ではトレース出来ないものだとなぜ自分に言い切ってあげないのか。

自分自身に失礼ではないか?

これは「職人気質」はもう止めにしないか、と言い換えることもできます。

あまり特定の業種に言及するのは避けたいのですが、例えば天ぷらを揚げるところを10年見る必要はないでしょう。雑用はするので少しは揚げさせてよって。

ひいては同様に、あの手の職人はむしろ自分の経験を貶めていないか?と思うのです。

弟子が直ぐに天ぷらを揚げ始めてそれで抜かされるような腕前ならそれこそ辞めた方がいいでしょう。既にリードがあるんだから、何をビビる必要があるのか。

キチンと自分の経験を言葉として伝授して、試させてみて、やってみせないのは単に高慢で怠慢ですよ。

もし、ノウハウこそが重要でそれを教えると「金が稼げなくなる」と思うのだったら、それはそのことを正直に表明すべきです。すると、それはノウハウだけの表現なんだということが分かります。

何も言わないで伝えないで、ただ作品を作ることだけが美徳みたいな偽善的な恰好付けだけはするな。芸術自体への感謝が感じられない。

私は怒っています(#^ω^)

創作を次のステージに引き上げるべき

曲がりなりにも創作をするようになって気付いたのは、創作活動は学術論文と非常に似通った部分があることでした。

すなわち、先人や元あるアイデア・モチーフを引用・観察・利用し、自身のオリジナルな視点を僅かばかり足していくのです。(天才に限ってはそうではない)

だから両方とも研究を進める過程で、ある分野について「これは大発見」と思ったことは大体先人によって高度にやられているし、「これは何故誰もやっていないのか」と思ったことは大体先人も試していてダメだと分かっていることなのです。

そして、いつの時代も「天才」が舞い降りてきて神の如き仕事を行い、凡人と秀才がその隙間を埋めるのです。

ただ一点、創作活動と学術論文が異なるのは、創作活動はそのアイデアの引用元を明かす必要が無くそれ用の検索体制も整備されていないということです。

引用の概念とCiNiiやGoogleScholorのようなものがないということです。

学術論文の検索エンジンが十分な機能とデータベースを有しているかという点は疑問ですが、少なくとも学者達はそのようなものの有用性と必要性を認めています。

そうでなければアリストテレスが言ったことを、表現を変えて延々と自分の言葉で説明することになるからです。

一方で、作家達はむしろそういうものは必要ないと考えているでしょう。

人によっては、感情のままに創作した自身の作品が理性によって分解されるのを嫌うでしょうし、またある人は作品を分解した時にオマージュを超えてパクリだと指摘されるのを嫌がるでしょう。

それにそもそも、どこまでが理性で作られたかの線引きも自身ですら分からないのにそんなことが出来るのかと、そんなことをする意味があるのかと思う人もいるでしょう。

違います。するのです。

これからを引っ張っていく未来の世代に、その能力を発揮できる場を用意してやる事こそがそれまでの世代の責任であり、それがお世話になった表現に対する最大限の感謝だからです

よく探せばTwitterでそれっぽいことを書いている人もいますが、Twitterは個人的すぎる。

また本のインタビューは全員が読むわけではない。もう少し分かりやすく、アクセスしやすいように公開・共有しないといけないと思います。

「ポータルサイト」という形で。

これについて集英社がどこまで考えているのか分かりませんが、少なくとも私にとっては「ジャンプの漫画学校」はその一歩なんだと思わざるを得ません。

それで私は勝手に期待しているのです。

補足:「ジャンプの漫画学校」申し込んだけど

この「ジャンプの漫画学校」は当然私も申し込んだのですが、提出作品のレベルが低い上、年齢的にも枠に残れるとは思っていません。

せめて現在作成中の作品を送れたらという感じでしたが、まあそれはいいのです。私の成長曲線的には予定が狂っている訳ではないので。

それにしても発表から申し込み締め切りのタイミングを考えると、3週間あるかないかという感じでしたから、本当に集英社は本気なんだなと思いました。

なぜならば短い期間では既に書いた作品を提出せざるを得ないですから、募集対象は真剣な漫画家志望者で、枠を考えると限りなくプロに近い人なんだと直ぐに気付きます。

「学校」と言いつつ、実態は「研磨所」ですね。イマイチくすぶっている才能を輝かせたいのだと思います。

そして、どういう講義できっかけを掴んだのかというサンプリングですね。

素晴らしい取り組みです。

ただ、一点気になったのは私がフォームから申し込みを完了させた後の画面ですね。

受験番号?いや、これは……
受験番号?いや、これは……

これ、私は受験番号だとその時思ってたんですよ。

「粋なことするなぁ」と思ってたんですけれども、今考えたら「404NotFound」じゃないのか??

URLは「~completed」になっていたから申し込み完了したと思っていたけれども、、、届いてはいるよな??

それとも、既に50人枠決まってんのか??

よく分からん現象が起きましたが申し込みはしました。

受かっていたらそれはそれでラッキーってことで。

では、さよなら。

(追記)

9月になってもメールの返信すら来ないので、届いていなかったとみなします。

……^^;

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