『鬼滅の刃』漫画作品としての考察と分析・感想と批評【イラスト編】

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(鬼滅キャラは描くのが難しい?)

【シナリオ編】に続き、【イラスト編】ということで、漫画を構成する要素の内、『鬼滅の刃』の「絵」について考察を行っていこうと思います。

「絵」というのはそもそも何を指すのかということを始め、非常に議論が難しい部分だと考えるのですが、視覚情報というのは人々の作品に対する印象を大きく左右するので避けて通れない部分でもあります。

そして、『鬼滅の刃』はどちらかというと「絵が上手い」作品なのだということを主張したいです。

『鬼滅の刃』は絵が上手い

まず、前提として漫画の「絵」を構成する要素は何かということです。

これはシナリオに比べて非常に難しい話で、私も現在進行形で頭を悩ましています。

以前、漫画の「絵」はデッサンなどではなく、本質的に「コミュニケーション能力」なのだと持ち込みで気付かされたということを書いたのですが、その意味する所は「絵」というのは必要な情報を読者に伝達する手段なのだというものでした。

従って、ここでは「絵が上手い」=「絵で読者に意図した情報が過不足なく伝達出来る」だと考えます。

その前提で、私は「絵」を構成する要素は今のところ以下だと考えています。

①デザイン

②レイアウト・構図

③説得力

あくまで、一枚絵・一コマを取り出して見たときに何が上手い「絵」なのかという基準で上の構成要素を挙げてみました。

ですので、コマ割りや視線誘導、演出等の漫画表現特有の縛りや前後が関係するものは、私の中では「漫画技法」に分類しています。

こういう観点で『鬼滅の刃』を見てみると、『鬼滅の刃』は「絵が上手い」と評価できると思います。

(※そもそも、天下の『少年ジャンプ』で連載を勝ち取るような先生がアマチュア基準で「絵が下手」な訳が無いのですが。)

しかし、世間では他の作品と比べて『鬼滅の刃』は「絵が下手だ」という人が尚も多い印象です。

そのような人達の意見を以下に少し並べてみます。

  • デフォルメ(雑な絵)が多すぎる
  • 線(ペン入れ)が雑で汚い
  • バトルで何しているのか分からない
  • バトル描写に迫力がない……etc

詳細は以下に続く項目で説明しようと思うのですが、それは「絵」の要素の一部分を取り上げた感想であって、本質的な評価ではないと述べておきます。

(※ただし、多くの読者層はそういう基準で「絵」を評価することが多いということも創作側としては踏まえないといけません。)

ワンポイントお洒落なカロリー高めデザイン

ここでいうデザインは殆どキャラクターに関するデザインについて終始します。

これにはデザインの中の「比率」という意味でデフォルメも含まれます。

それで、『鬼滅の刃』のデザインに関してひしひしと思うのは「ワンポイントお洒落なデザインだな」ということです。

というのも、この記事を書くために何体か鬼滅キャラを書いてみたのですが、どのキャラクターも限られた時間で何回も書くのがちょっと面倒なデザイン及びデフォルメだという感想を私は抱きました。

例えば、各キャラクターが着ている羽織の柄がその最たるもので、まず「この柄はどういうパターンになっているんだろう?」というところから考えねばなりません。

羽織の柄などの小物は連載中にはその殆どをアシスタントが書いていたのだろうと思いますが作業量は0ではないでしょうし、そもそも各キャラクターの顔面の時点で「うわー」と思ってしまうほど、ちょっとした一手間が至る所でかかります。

所謂「作画カロリーが高い」というやつです。

しかし、そのちょっとしたお洒落こそが「キャラクター」を成立させて、尚且つ読者を惹きつけているのだろうというのは間違いないです。

そして、「ちょっとしたお洒落」というのが実に女性的な感覚だと思います。

私的には作品にその人の中身が浮き上がってくるので作家の性別などはあまり気にしないのですが、実際、作者の吾峠先生は女性であるという説が濃厚ですし、これが男性作家だとまあ出てこない「お洒落」がデザインを通して見られます。

分かりやすい所で、「耳飾り」というのは男性だと中々出てこないですよね。

これは特に女性読者の共感を得られるものだったのでしょう。

例えば、炭治郎の顔面はかき上げのデコ出しという主人公としては実は珍しい髪型ですが、泥臭くても清潔感がありますし、禰豆子のデザインなどは「妹(妹キャラではない)」として同性にスッと受け入れられやすいものだったのではないでしょうか。

大衆に受け入れられる作品というものは必ず女性からの支持があります。

男性の世界は男性のみで共有されることが多いからです。対して、世の中で女性から一定以上の支持を集めることが出来れば、その尻を男性が追いかけ始めます。

それに、世の中の財布は大体女性が握ってますしね。また、親が認めなければ子供は買ってもらえません。

……ともかく、デザインが全て「ワンポイントお洒落」なのです。

髪型、小物、季節感……特にこういう部分がやりたくても、私のような出てこない人間には出てこない。

吾峠先生に備わった優れた感性だと思います。

デザインによる制作の時間制約

「絵」以前にイラストを描くのも苦手な私如きが偉そうに語れるテーマではないのですが、デザインによって物理的にコントロール出来るのが、「画面の埋まり」と「制作時間」だと考えます。

そして、デザインというのは最初に決めてしまった後は大きく変更出来ない部分なので、これは慎重に決めないと最後まで引きずる問題でもあります。

前者の「画面の埋まり」というのは、漫画が原則黒白の2色で表現される以上、如何に黒白の比率と偏りをコントロールするのかが画面作りに直結するという話です。

例えば、『鬼滅の刃』で鬼殺隊の制服のベルトが大きく真ん中に白色というデザインなのは、刀を差す機能以上に隊服が学ランで本来黒色1色になる所で配色と視線のバランスを取ったものです。

他にも、柄を画面に配置することで、意図的に線の詰まった部分を作ることが出来ます。

まあこれに関しては、余りにも主題からズレてくるので長く書きません。

私が『鬼滅の刃』で取り上げたいのは「制作の時間制約」の方です。

「制作の時間制約」というのは、デザインの段階で作画に必要な時間がほとんど決定してしまうということです。

その最たる例がアニメーションにおけるデザインであって、作画枚数を多く必要とするアニメは制作時間を少なくするために、キャラクターの線数が少なめに、シンプルにされる傾向にあります。

そして『鬼滅の刃』は先ほど述べたように、作画カロリーが元々高めなデザインをしています。

つまり、普通に描こうとしても制作時間が多めにかかる傾向にあるのですが、注目すべきはこの『鬼滅の刃』が『少年ジャンプ』で週刊連載されていたことにあります。

もう一度言います。

『鬼滅の刃』は週刊連載です。

これを考慮していない人がいます。

(※これに対して「それがプロだろ」という意見は作品の評価と少しズレています。)

週刊連載で毎週最低18pを書き上げるとして、ネームやその他作業含めて3日、作画に4日かけるとすれば、単純計算で1日4p以上は絵を書き上げなければなりません。

これは会社員の勤務時間を基準にすれば、1pあたり2時間程度で書き上げなければならないという感覚です。

しかし実際にはそのように順調には書けないでしょうから、他のページに皺寄せがきて2時間以内で書かなければならないページもあるでしょう。

そこに先述したデザインによる時間制約が加わります。

普通に書こうとすれば間に合わないのです。

その状況で時間を短縮するために崩すことが出来るのは「デフォルメ」と「線」の部分しかありません。しかし、そうすれば必然的に完成されていたデザインは崩れてしまいます。

こういう部分で、デザインによる視覚効果と制作時間の間にはトレードオフの関係があります。

『鬼滅の刃』の絵が下手だと述べる人の中には「デフォルメを多用している」・「線が汚い」という意見があります。

しかし、これは週刊連載という限られた締め切りの中、作者が取捨選択を行った結果であって、その裏側にあるデザインの正の効果について言及しない限りそれらの意見は全く適切な評価ではないです。

【漫画技法編】で述べますが、『鬼滅の刃』は心情表現が優れた漫画であり、実はバトル漫画ではありません。だから、キャラの感情表現に「説得力」が失われていない以上、吾峠先生の取捨選択は正しかったと言えます。

これは「プロ」に他ならないのではないでしょうか。

レイアウト・構図が下手なプロは居ない

レイアウトとは、背景・小物・人物等の「オブジェクト全般の配置」。

構図とは、カメラの場所やレンズ、振り方等の「撮影方法」。

そういう意味でここでは使用しています。

この項目に関して、『鬼滅の刃』で取り立てて語りたいことはありません。

『鬼滅の刃』について、私の純粋な読者目線で、特に目を引いたり感動したレイアウト・構図はありませんでした。参考資料以上に感情を伴って想起する一枚絵がありません。

(※扉絵の何枚かなどはビビッときましたが、どちらかというとデザインによるところが大きかったと思います。)

ただ、一つだけ述べておくとするならば、「レイアウト・構図が下手なプロは居ない」ということです。

これは『鬼滅の刃』も例外ではありません。

レイアウト・構図については常に最適解を選択しなくとも、読者とコミュニケーションが成立するだけの情報量を与えることが出来れば最低限のラインはクリアすると私は考えています。

しかし、一度選択を間違えてしまえば読者の集中が途切れてしまうので、「読めない」作品だという評価を読者に下されてしまう可能性が一気に高まります。

読む手が止まってしまうということです。

そして、その能力こそがプロとアマチュアの大きな差、漫画を描くのが上手い人と下手な人の差であるとも私は考えており、これをどう埋めるのかが私自身の課題でもあると今のところ考えています。

『鬼滅の刃』の「説得力」は感情表現に向けている

この「説得力」というヤツが曲者なのです。

曖昧で、上手く言語化することがまだ出来ていません。

「説得力」とは、絵のデッサンやスピード表現、重さの表現、感情表現などの所謂「画力」という意味でここでは使います。

多くの読者が「絵」だと考えている要素です。

以下の例で私が考える「説得力」とは何を指すのか体感的に分かってもらえるかもしれません。

例えば、「泣き笑い」と「泣くほど笑う」というのは、涙と笑いが混在しているという状況が共通していますが、根底の感情が異なります。

しかし、極端に「説得力」がない絵はこの二つが同じになってしまいます。

「泣き笑い」の場面で「笑い過ぎて涙が出ている表情」が描かれていれば、人間の感覚として違和感を抱いてしまいます。

これが「説得力」の有無です。

そして、「説得力」は何を表現したいのかで求められるものが変わります。

バトル描写を行う場面では、その太刀筋が素早かったのか・パンチが重かったのか等の戦闘描写が「説得力」になります。

あるキャラクターが美男(美女)であるならば、キチンと美形に見えるかが「説得力」になります。

光の中や水の中に居て空間を表現したいならば、影の付き方や物の揺れ方が「説得力」になります。

さてここで、『鬼滅の刃』では何が「説得力」として求められていたのかということです。

【漫画技法編】で詳しく説明しますが、『鬼滅の刃』という作品は勝負の駆け引きを表現するバトル漫画ではなく、あくまでも心理描写を表現するドラマ漫画に寄った作品であり、ドラマ表現に殆ど重点が置かれていたと考えます。

そうであれば、表現力はバトル描写ではなく、その過程や結果を受けて登場人物達の感情がどのように揺れ動いているのかという感情表現に対して求められます。

それで『鬼滅の刃』の「説得力」は、週刊連載の限られたリソースを割り振る中で、バトル表現ではなく感情表現に向けられていたと私は考えます。

(※「泣くシーンは涙をただ流しているだけにしたくなかった」みたいなインタビュー記事もどこかで見た覚えがあります。

対照的に、代表的なバトル漫画の『NARUTO』は「動きを見せるために3点カメラコマを使った」というインタビュー記事があって、こだわる部分がどことなく違っています。)

従って、「『鬼滅の刃』はバトル描写が下手だ」・「バトルで何をしているのか分からない」という意見は確かに事実だと思います。

しかし、それは女主人公のグルメ漫画に対して「女の子が可愛くない」と文句言っているようなものです。

女の子目当てで作品を購入したならばそう言いたくなる気持ちも分かりますが、「いやいや、そもそもグルメ漫画だろ?」とツッコみたくなります。

(※「旨そうな飯を美味しそうに食べる可愛い女の子が見たい」と言われたらそれまでなのですが。)

そもそも『鬼滅の刃』はバトル漫画なのか?と一考してみるべきです。

何故アニメ化で一気に人気が跳ねたのか

原作は感情表現にこそ重点が置かれていたという仮説は、『鬼滅の刃』がアニメ化によって一気に人気が跳ね上がったという事実によっても裏付けされています。

何故ならばアニメ表現に特徴的な「動き」を表現するアニメーション映像はどちらかというとバトル描写と相性が良く、「感情」を表現する声優の演技は絵の「説得力」とは無関係な言葉選びと相性が良いからです。

このアニメ表現の特性が相まって、『鬼滅の刃』はアニメ化で作品の短所が長所になり、元からの長所は長所のままとすることが出来ました。

『鬼滅の刃』のアニメではバトル描写が原作のそれより格段に上がっていたことは明確ですが、同時に吾峠先生が心血を注いだ感情表現が、アニメ化されても殆ど損なわれることが無かったということも大きいと思います。

ただ、これは原作のポテンシャルはもちろん、アニメーションスタッフの仕事による部分が大いにありました。

作画はもちろんですが、作品そのものに対するスタッフの理解が深かったのだと思います。

劇場版、特にアカザ対煉獄さんの戦闘シーンは鳥肌ものでした。

「バトル描写が加わると手が付けられない」というのが率直な感想です。

アニメ化はそういう点で、全ての始まりだったのでしょう。

2020年はコロナにより特殊な1年になりましたが、そういう事情で目に触れる機会が増えたことを考慮しても、内容が伴わなければここまでの社会現象にはなりません。

多分、浅い私が考えているよりも、もっと深い何かがある作品なのだと思います。

それは続く【漫画技法編】で可能な限り考察しようと思います。

では、さよなら。

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