色んなネットニュースで扱われていて前から気になっていた『アングスト/不安』を観に行ってきました。
1983年に公開され上映禁止となった映画であるにも関わらず、こうして時を経てスクリーンに蘇るだけの強力な作品だけあって、ニワカ映画好きの私も思う所がかなりありました。
忘れないうちに書き留めておきます。
今回の感想は我ながら的を射すぎているので、もはや解説だと思ってください(笑)
目次
『アングスト/不安』を観に行ってきた
『アングスト/不安』を観るためにシネマート心斎橋に行くと、早速入口にこんな看板が立ってました。

中を見て納得。映画館のスペースが『アングスト』狙いらしき人達で埋まっていました。
しかも当日券を求めてくる人が結構なペースで後から来ていて、スタッフは『アングスト』の本日分チケットは完売で明後日のチケットなら予約できると伝えていました。
ということは、少なくとも明日分までは完売しているということです。
幸い私はチケットを事前に予約していたからよかったものの、そこまでだと思っていたので無駄足を踏む可能性もありました。危ない危ない。
これはもちろん、コロナ対策でソーシャルディスタンス確保のために座席数が半分になっているということがありますが、それでもこの手の映画館であれだけの人が集まることは珍しいはずです。
思ってるより、この映画は注目している人が多かったようですね。

館内は『アングスト』推しです。コラボTシャツや「不安ドリンク」なるコラボドリンクまで売ってました。(コーラ買った後に気付いたので買いませんでした)
色んなネットニュースで『アングスト』に関する記事を見かけたように、どうやら配給側もPRに力を入れているようです。
そりゃ、こんな広告のされ方をしたら怖いもの見たさで観たくなってしまいますよね。
さあ、上映禁止になった問題作はどんな作品なのでしょうか。
『アングスト/不安』感想・レビュー(※ネタバレ無)
今回はネタバレありませんので、ご安心ください。
というのも、この作品は実際にあった事件を基にしているのでそういう意味ではネタバレ済みです。
この映画はヴェルナー・クニーセクという殺人鬼が1980年1月に起こしたオーストリアでの一家惨殺事件を描いた作品で、ジャンルでいうとバイオレンスとかホラー映画に分類されるものです(R15+指定)。
いわゆるバイオレンス・ホラー映画というといくつか恐怖演出のパターンがあって、例えば急に大きな音を立てたり怖い映像を出したりする「ビックリ」演出や血みどろの残虐な暴力シーンを見せつけていく「バイオレンス(グロ)」演出などは鉄板です。
私はこの両方、特に前者が苦手でそれがいつ来るのかと最初はビクビクして身構えていました。
なぜならば、前述したようにこの作品は多くのネット記事で取り上げられていて、「世界各国上映禁止」だとか、「特殊な撮影手法と奇抜な演出で観たらPTSDになる可能性があります(意訳)」だとかいう広告のされ方がされていたからです。
しかし、私のそのような怯えは映画が進むにつれて別の怯えに変わっていきました。
その怯えとは邦題の一部にもなっている「不安」です。
そうです。
この作品は恐怖演出が抜群に優れているのです。
私はその演出にまんまと乗せられて不安になってしまいました。
ただ、それで演出された感情は「恐怖」というよりあくまで「不安」であり、それは追われる側(=被害者)ではなく、実は追う側(=殺人者)のものである
というのが、普通のバイオレンスホラーとは異なります。
その事に気付いて、この作品は凄い作品だなと思いました。
見たことないような撮影手法
いくつか取り上げたい項目はありますが、何よりもその撮影手法に驚きました。
見たことないような映像の連続です。
ワンカット目から既にこの映画は何か違うなと思うはずです。
この映画のワンカット目は主人公が歩いているシーンから始まります。
歩いているシーンは先に埋め込んだ予告映像を見てもらうと手っ取り早いのですが、なんかフラフラ・ユラユラとしていて奇妙な浮遊感があります。
これは手持ちカメラに特有な揺れとは違います。(この映像は実際にどうやって撮ったのでしょうか、撮影技法はあまり知りません)
(2020/8/01追記)↑カメラを俳優に固定して自撮りみたいに撮っているらしいです。
私はワンカット目から船酔いのような居心地の悪さを抱きました。
何と表現すればいいのか分からないですが、背景に被写体(主人公=殺人鬼)が馴染んでいない、分離している映像になっています。
まるで背景と人物を別撮りしたみたいな感覚を受けます。
そして詳しくは後述しますが、これは実は自身が世界から切り離されているという主人公(=シリアルキラー)の孤独な感情を演出していたのではないかと思うのです。
背景にはピントが合ってなくてボヤッとしている一方で、被写体にはピントが合い過ぎている。
そして、カメラ自体も被写体の動きに合わせて上下左右に動くけれども、その動きが微妙に合っていないため居心地の悪さがあります。
これに似た映像は私の微かな記憶では『レクイエム・フォー・ドリーム』にあった記憶がありますが、中々見た覚えが無いです。
(↑インチキ言ってるかもしれません。『アングスト』に影響を受けたというギャスパー・ノエの映像を全く思い出せないのです。今『エンター・ザ・ボイド』の映像を見ましたが、それっぽいことをやってますね)
もしかして、『アングスト』がああいった撮影手法の元祖なのか?と驚いた次第です。
落ち着かない画面
普通の映画ではカメラの焦点がカメラの高さと同じ位置にある映像が大半を占めています。
加えて、そのカメラは被写体を画面の真ん中(カメラの焦点)に捉えていることが多いです。
それは画面が落ち着く=見やすい・理解しやすい、従って観客も落ち着いて鑑賞できるという効果があります。

しかし、この『アングスト』の中にはそのような映像はほとんどありません。
私が適当に数えた限りは4~5カット程度しかなく(ズーム画像除く)、やっと画面が落ち着いたかと思った次の瞬間には被写体かカメラが動き出しています。
「真正面」から止まった世界を切り取ったカットが「ない」と言い切ってしまっていいほど本当に少ないのです。

焦点から被写体をずらすことで、その被写体の居心地の悪さを鑑賞者に与える意図があるということを私は『タクシードライバー』の監督オーディオコメンタリーで知りました。
しかし、『アングスト』ではそれに加えてカメラの焦点がカメラの高さにありません。

カメラの焦点がカメラの高さにないということは、俯瞰(上から)かアオリ(下から)の映像だということになります。
従って『アングスト』では本編のほとんどが俯瞰や変なアングルで撮影されていて、しかも画面の真ん中に主人公が映らないので、まぁ~~~観ている側は落ち着きません。
そしてその演出された居心地の悪さとは、実はこれまた「主人公=シリアルキラー」の居心地の悪さなのです。
『アングスト/不安』で表現されたもの
邦題は『アングスト/不安』ですが、原題は『ANGST』です。
「angst」とはドイツ語で「恐怖、不安」を意味するようですが、この感覚は英語の「anxiety」、つまりもっと「漠然とした不安」を表すようです。
ここで考えて頂きたいのですが、これは誰の感情か、ということなのです。
これは明らかに被害者側(=殺される側)の感情ではありません。
なぜなら誰かに今まさに殺されようとしている人は、明確な対象に対して恐怖を抱くからです。
そう考えるとこれは加害者側(=殺す側)の感情であり、それをタイトルにしている以上、この監督が表現したかったものは実は「シリアルキラーの内面」だったのです。
これまで述べてきたように、この作品はその特異な撮影手法でシリアルキラーである主人公の内面を表現しています。
自分だけこの世界から浮いてしまっているのだという孤独感、世界に真正面から向き合えない歪んだ認知、常にズレたところにいるという居心地の悪さ……そういったものは全てシリアルキラーである主人公の感情です。
故に『アングスト』の大半は主人公による内面の独白で構成されています。
私達は、この映画を通してシリアルキラーの視点から世界を見せつけられるのです。
だからこの映画は全世界で上映中止になるし、観た人の大半は「恐怖(ホラー)」だと思うのです。
シリアルキラーの思考をそうでない人間はトレースすることが出来ないからです。
全く異質のモノを強制的に頭に流し込まれれば、人々は拒絶反応や恐怖心を抱きます。
反対に私達からすれば特殊に思える撮影方法や奇抜な演出は、実はシリアルキラーにとってはそれこそが普通の世界の見え方(切り抜き方)なのだと思います。
ですので、この映画を他のバイオレンスホラー映画と比べたりするのは少しズレている上ナンセンスなのだと私は思います。
なぜならば、ある意味この映画には被害者というのは初めから存在しなくて、強いて言うならば世界から切り離されている(と思っている)主人公自身が最初から最後まで彼の視点では被害者なのだと言えるからです。
そこには外界からの攻撃(刺激)に対する動物的・本能的な反応しか存在しないのであって、『ハウス・ジャック・ビルト』のような殺人者独自の美学や意図など全く存在しない訳です。
だから最初から最後までこの映画は「理解」出来ない。
快か不快か、多くの人は不快な気分になるに違いないということなんだと思います。
『アングスト/不安』総評
【評価】★4.5
え?褒めちぎっておきながら★5じゃないの?と思われるかもしれませんが、確かに良く出来た映画だと思うのですが、私個人として2回目を観るかと考えたときに多分見ないからです。
ちなみに、公式サイトに書いてあったのですがギャスパー・ノエ監督はこれを60回観ているようです。
その差です。好みの差です。
実はこの映画、観に行った当初はどれほどの残虐なシーンがあるのだろうと思って観に行ったのですが、想像よりも遙かに映画作品として作りこまれていて、逆にそういうバイオレンス要素は控えめだとすら思いました。
ですので、もしかしたらそういった過剰で過激なバイオレンスシーンを期待している人からすれば物足りないかもしれません。
しかし、PR的にはそんなホラー映画なのかなと思わなくもないはずです。
ちなみに、私的なバイオレンス映画No.1は韓国映画の『悪魔を見た』です。あれはバイオレンス演出がこれでもかという風にあって、ある意味で『アングスト』とは真逆を行っている気がします。

あと、劇場でパンフレットが売ってたので購入しました。
中身の監督インタビューを読む限り、やはり監督はシリアルキラーの内面自体に興味があるようで、「なぜ動物的な衝動に突き動かされて殺人を犯してしまうのか」ということを考えていたようです。
私の映画感想が当たっていて、ニンマリです。
ですので、この記事の内容を語ればドヤ顔出来ますよ(笑)
もはや解説だと思っていただいてもいいのではないでしょうか??
では、さよなら。
(2020/12/03追記)
評価は星5ですね。
作品の出来と私の好みは切り離して考えるべきですから。
今日に至るまで、また何本か映画を観たのですが、『アングスト』はとても良く出来た作品だと改めて思いました。
また、感想では触れませんでしたが、クラウス・シュルツの手掛けたBGMが本当に良く出来ていると思います。頭でリフレインするのです。おかげで、映画音楽にまで興味が向くようになりました。感謝。