【評価★5】映画『タクシードライバー』感想と鑑賞のススメ

タクシードライバーアイキャッチ用

突然ですが、「何の映画が好き?」という質問に対してどの作品を挙げますか?

これまた「オススメの映画は?」という質問と同様に、相手がどんな人間かということで変わってくるので、厄介な質問です。

私は何パターンか答えを用意しているのですが、相手が結構映画について知ってそうだなと思った際、一番無難な答えとして『タクシードライバー』と答えています。

なぜならば、『タクシードライバー』は不朽の名作だからです。

SNSが炎上する今の時代だからこそ、再評価されるべきだと思います。

映画情報

『タクシードライバー』予告

監督:マーティン・スコセッシ
脚本:ポール・シュレイダー
出演者
ロバート・デ・ニーロ
シビル・シェパード
ハーヴェイ・カイテル
ジョディ・フォスター
アルバート・ブルックス
音楽:バーナード・ハーマン
公開:1976年2月8日(アメリカ)
上映時間:114分
製作国:アメリカ合衆国

以上、wikipedia参照。

あのマーティン・スコセッシとロバート・デ・ニーロがタッグを組んだ作品です。

以降に、このタッグで『レイジング・ブル』という作品を撮っていますがそっちはイマイチだった記憶(評価★2.5ぐらい?)です。

映画の前情報として紹介しておきたい知識が3つあります。

『タクシードライバー』予告キャプチャ:日々のタクシードライバー業務
『タクシードライバー』予告キャプチャ:日々のタクシードライバー業務

まず、タイトルともなっている「タクシードライバー」という職業についてです。

アメリカ(ニューヨーク)では「タクシードライバー」という職業の社会的地位はあまり高くありません。労働者階級の代表・象徴みたいな意味合いがあります。

そして職業柄、様々な人間と場所と接する機会がありますから、街の様子ひいては社会の様相を描く視点に適しているし、機敏にそれを感じる立場でもあります。

この記事では「」付きで「タクシードライバー」と書いていますが、そういう立場なのだと頭の隅に置いておくべきです。

次に、この映画はアメリカで70年代に制作された70年代設定の映画ということです。

アメリカの70年代というのは知識人からすると興味深い時期で、検索したり関連本を探すと山のように情報が出てくるので全部を紹介する訳にはいかないのですが、端的に言えばベトナム戦争が泥沼化して、経済も文化も滅茶苦茶になっている時期です。

経済・政治各方面で国に危機感が漂っているのに、若者はドラッグでパッパラパーになっている。そこにベトナム戦争でPTSDになった兵士が帰ってきて問題を起こす。今日まで続く、悪名高い新自由主義的政策や思想はここからの脱却を図ったものです。

そして、『タクシードライバー』の主人公トラヴィスもベトナム戦争でPTSDとなった帰還兵という設定で、不眠症と相まってそんな社会に苛立ちを感じているのです。(その割に戦争の描写や記憶が出てこないので、こいつ本当にベトナムに行ったのか?と私は思っています)

最後に、この映画はあのタランティーノが自身の映画オールタイムランキングに長らく3位として選出していたということです。(ランキングはこちら

タランティーノは映画監督として評価されていることは周知の事実ですが、同時に相当な映画オタクでもあります。

そのタランティーノが今までの映画の中で5本の指に入るとしていたのですから、これは優れた映画でしょう。

で、なぜわざわざそれを書くのかというと、私自身も含めて「映画好き」というのはメンドクサイ人間が多いからです。

「好きな映画は?」という単純な質問に、様々な探りを入れてきやがる訳です。

そこで私は『タクシードライバー』と答え、思う魅力を簡潔に述べた最後に、「あのタランティーノが認めてるんだよ?」と付けるのです。

そうすれば、こちらの言うことを向こうは認めざるを得ないのです。

だって、メンドクサイ映画好きはタランティーノが好きだから。

ちなみに、私はタランティーノが嫌いなんですけれどもね。どうにも合わないんですよ。

「そこいる?カットしたら30分ぐらいで終わるんじゃないの?過激なシーンだけやりたいんでしょ?」と思ってしまう。

(ただ、『タクシードライバー』の会話がタランティーノ映画っぽいという意見もあって「ぐぬぬ」なんですけどね。それは無駄に見えてもトラヴィスはそういうのにそもそもうんざりしてるから必要なんだと言い訳しときます)

我ながら、映画好きはこういうところがメンドクサイんですよ!!

不朽の名作の条件

『タクシードライバー』予告キャプチャ:「俺に用か?」のシーン
『タクシードライバー』予告キャプチャ:「俺に用か?」のシーン

『タクシードライバー』は「不朽の名作」だと私は思っています。

1976年に公開されてから、2020年に至るまでまだ44年しか経っていませんが、恐らく20年後、100年後もまだ名作と評価されるでしょう。

さて、「不朽の名作」とは「いつまでも価値を失わないであろう優れた作品」のことですが、それには条件、大前提があると思います。

それは「作品が時を経ても、今と共通の価値を共有していること」です。

例えば仮に、未来の人類から一切「恋愛感情」が無くなったとして、『タイタニック』を名作だと評価できるでしょうか?

そもそも男と女が惹かれ合う意味が分からないのですから、脚本が破綻していると思われるでしょう。

「恐怖心」が無かったら、『サイコ』は?
「正義心」が無かったら、『ロードオブザリング』は?

「タクシードライバーという職業」が無かったら、『タクシードライバー』は?

そもそも、観る側の人間が昔と変わらず「人間」だから全ての映画は成り立っている訳です。

例えがイマイチだった気もしますが、では『タクシードライバー』が不朽の名作だとして、現在と未来に何を共有しているのか?ということを私は取り上げたいのです。

『JOKER』が評価される時代

2019年、韓国映画の『パラサイト半地下の家族』が公開されるまでは『JOKER』旋風が吹き荒れていました。

『JOKER』を見た人が、こぞって『JOKER』を観たとか感想だとかをネットにあげていました。結構、有名人とかモデルの人まで「観た」とかいう感想を書いていたのを見て、「へぇ~流行ってるんだ」と思った記憶があります。

ただ当時、私はそんなに観る気がなかったので、後に新作レンタルの時期に観ました。

そして驚きました。

『タクシードライバー』やん!!

気になって検索してみると、そのような指摘や情報を多く見かけました。

そりゃそうですよ。ちょっと映画に明るい人なら、そう思わないのはエセです。

『タクシードライバー』を観たことある人はそう思わないとオカシイ。(後で知ったが実際、監督はこれと『キングオブコメディ』に影響を受けたらしい)

もちろん、細かな違う点はあります。(ロバート・デ・ニーロはこの2つは「違う」と言っている)

『JOKER』の方がもう少し、主人公の境遇に自分の力ではどうしようもない元々の部分が多かった気はします。最初、主人公のアーサーには夢があって自分なりにあがいていましたし、病気も病気なんだからどうしようもないです。

一方で『タクシードライバー』のトラヴィスの方が、ベトナム帰りで不眠症(本当?)とはいえ、もう少し根が腐った「真面目系クズ」である気がします。

あと『JOKER』は、「精神症」という設定が語り視点の主人公にあるため、何が妄想で何が事実なのかという考察が入り込んでしまい、ミステリー要素があります。

しかし、大きな部分は同じです。話の根幹を私なりにまとめるとこうです。

「社会からの疎外感を感じていて孤独な主人公が、世界(社会)の方が間違っているという考えに憑りつかれて凶行に及び、皮肉にもそれで自身の居場所を得てしまう」

こういう話に一定以上の評価がされるということは、どの時代も観る側の人間が以下の価値観を少なからず共有しているのだと思います。

①自身には本当の理解者がいないと思うことがある。

②世界(社会)が間違っているという考えに共感する部分がある。

③例えある行為が凶行でも、人々の心の中で理解・賞賛されるものがある。

「タクシードライバー」は身近にいるはず

『タクシードライバー』予告キャプチャ:トラヴィス(モヒカン形態)
『タクシードライバー』予告キャプチャ:トラヴィス(モヒカン形態)

近年、SNSの普及によりますます人々のネットワークが拡大強化され、情報・監視社会化が進んでいます。

しかし一方で、それは人々の繋がりを深めるものではなく、むしろ上辺だけの関係を保つために自分の本音を言うことが難しくなっているように思います。

だからといって昔は昔で、地に根付いた人々の狭いコミュニティしかないため、その関係を崩す可能性のあることは安易に出来ず本音を言いだすことが難しかったはずです。

つまり、今も昔も本音を周りに言える人なんていうのは少ないのではないかと考えます。

そしてまた、勇気を振り絞ってもその本音が周囲に理解されるかどうかというのは別問題です。

そんな自分の心の内を明かすことの出来ない状況下で、けれども自身だけでは処理できない程の闇を抱えてしまえば、溢れ出た感情が外向き、つまり社会に対しての怒りや疎外感となって募っていくことは容易に想像できます。

だからこそ、「表面では綺麗ごとを言うけれども、裏では真逆のことを思っている人」というのは思っているより多いのだろうけれども目には見えず、皆黙ってダークヒーローが現れるのを待っているのです。

これが『JOKER』ではアーサーであり、『タクシードライバー』ではトラヴィスであり、もっと分かりやすい主人公は『DEATHNOTE』の夜神月だったりするのです。

例えば『DEATHNOTE』の夜神月は、「名前と顔」を知りながらも明確な殺意を持って殺人という非人道的行為を行う訳ですが、作中でも一定の理解を示されますし、そういう彼が不快で漫画を読むのを辞めた人間を私は知りません。

なぜなら同時に、彼が殺人を行うのは相手が(一見)それ以上に残虐な行為を行った悪人であるからであり、「誤った世の中を正しい方向へ導く」という大義名分に読者が少なからず共感しているからです。

また例えば、池袋で多くの人を撥ねて二人の親子の命を奪ったにも関わらず、その社会的地位から逮捕されずに在宅起訴となった「飯塚幸三」への処分は、法律的には正しいことになってますが、多くの人が誰かがそれ以上の私刑を与えることを望んでいると思います。

こうして、「世界(社会)が間違っている」という考えに共感するバックグラウンドが存在していて、そこに大義名分が揃えば過度な私刑やネットリンチは当然発生するのであり、その根本は各個人の鬱憤であるのですから、それを解消しない限り対象は移り変わって無くなることはありません。

個人の鬱憤を外に向けないとやってられない無力な市民や労働者。
それは社会構造、いやもっと原始的なルールが変わらない以上はずっと生産されます。

「タクシードライバー」は身近にいるはずなのです。

最近、テラスハウスの木村花さんが自殺した事件で、有名人の「誹謗中傷を取り締まるべき」という意見が逆に目の敵になるという現象がありましたがそれは当然です。

なぜならば、そういう一見した「綺麗ごと」こそが彼らの本音を抑圧する社会を作り上げているからであり、しかもその逃げ場まで潰されてはたまったものではないからです。

もはやそこでは、木村花さんなんてどうでもよくなっています。

なぜ、「木村花さん、ご冥福をお祈りいたします」とだけ双方綺麗な心でいられない?

しかし、これすら「綺麗ごと」なんでしょう。

だから本当は誰も何も世の中に発信する必要はないと思うのですが、それは人間が「人間」という社会的動物である以上は不可能なことです。

人間が「人間」である限り、「タクシードライバー(無力な市民・労働者)」は社会に生み出され、新しいトラヴィスが現れては消えていくのでしょう。一方で、上級国民(政治家・資本家)は高笑いです。

そして『タクシードライバー』は不朽の名作であり続けるでしょう。

35周年・40周年ディスクにはオーディオコメンタリーがついていて、監督や脚本家の話が聞けるので、是非レンタルしてみて下さい。

特に脚本家の話はどういう考えで話を作っていたのかが良く分かるので、より作品を理解できます。私はサブスクよりこちらをオススメします。

ベティとアイリスという対立的な女の位置づけや、トラヴィスの「孤独」の描き方は話作りの勉強になります。

「オレに用か?」という鏡の前でのセリフは、アドリブだけれども、オリジナルのものではないんです。

ただ、これはNetflixとかのサブスクにあるので、またコロナで暇になったら見てみてください。

では、さよなら。

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