【離人症】鬱になって離人症状が発生した体験談と寛解までの経緯

「自分」から引き剝がされる感覚?

これまでの鬱に関する一連の記事で、私は鬱になった経緯とそれが寛解した経験から分かったことについて書きました。

それらは一定の価値ある情報だと思っているのですが、実は私が一番情報として発信したかったのはその中で経験した「離人症」、奇妙な現実感の喪失に関することで、本記事はそれについて書いています。

離人症というのは言葉にしにくい感覚を伴う上、ネット上にも情報が少なく、私自身も自分に何が起こっているのかということがよく分からなかった事情があり、発信しておくことには意義があるのだろうと考えています。

「離人症」とは(私の症状の場合)

以下に述べる「離人症」というのは、

「現実感の喪失(離人感・現実感喪失)」という感覚を抱く症状を指すことにします。

精神医学的にはこの離人症というのは解離性障害に分類されていて、ネット上にはそれで人格が分離するような症状のものまで「離人症」という言葉で表現する人もいるようなのですが、少なくとも私の場合は人格が分裂するようなことはありませんでした。

そして、一口に「現実感の喪失」といっても、その感覚が様々で、表現も難しいものだということは当事者である私は一応分かっているつもりです。

後に続く私の体験談でもそういう感覚を表現する部分はあるのですが、以下にいくつか私の言葉でその「現実感の喪失」という感覚を表現しておきます。

・自分がロボットになって誰かに操作されている感覚。そして、その様子を後ろから見ている感覚。

・自分や周りがゲームの世界のように思える感覚。

・熱中症で倒れる一歩手前の状態がずっと続いている感覚。

・自分の手や足が自分のものでない感覚。感覚がフィードバックされない感じ。

・地に足がついていない感覚。独特の浮遊感。

私の場合、こういった言葉で表現される感覚がふとした瞬間に降りてくる感じでした。

特に外でこういう症状が出ることが多く、酷い時には外に出れば必ずこういう感覚に悩まされていた時期もありました。

鬱になって離人症状が発生した体験談

前回前々回の鬱に関する記事の中でも少し述べたのですが、私は鬱になってその症状が悪化の一途をたどっていた時期、同時に大きな離人感覚に襲われるようになりました。

ただ、今でこそ「離人感覚」という言い回しが出来ますが、当時の私はその感覚を何と言うのかということすら分かりませんでした。

「【アッチ側】に持って行かれる感覚」と当時は認識していました。

そして余りにも自然にその感覚が降ってくるので、その現象は何というか……普通のことだと思っていたのです。

というのは、自分の家族などにこういう感覚のことを聞いてみても、「気のせい」とか言われるだけでしたので、変な話ですが、私はそこまで気にしていなかったのです。

私にとって目下の問題は、鬱のきっかけとなった「部活を辞めてしまった・上手くいかなかった」というショックと「部員に会いたくない」という恐怖であり、そのような奇妙な感覚はそこまで関心の優先度が高いものではなかったのです。

「自分」から引き剝がされる感覚?
「自分」から引き剝がされる感覚?

しかし、鬱が悪化して鬱の症状が(悪い所で)安定してきた頃、その離人感覚は頻繁に現れるようになってきました。

部屋の中にいるならば、その波が引くまでジッとしてれば良いのでまだマシでしたが、外で歩いている時などは苦痛でした。

「何故自分が歩いているのか」という感覚や実感が無いのに、視界に映る身体だけが勝手にドンドン進んでいくので動悸や冷や汗が止まらず、急に立ち止まって壁にもたれるしかないということは多々ありました。

また、それでふらついた際に近くの人にぶつかってスマホを弾き飛ばしてしまい、あわや厄介毎に発展しかけた事も一度ありました。

これは現実感の喪失に伴うパニック発作的な要素も少なからずあったと思うのですが、町中を歩いている時にふと自分の身体が自分のものではなくなるというのは、非常に恐ろしいことです。

「何故か分からないけど」自分の脚らしきものが自分の視界の端で歩みを進めていて、どこかへ向かっているのです。

私はまるで全自動操作ロボットになった気分がしていました。私がコントローラーを握っているはずなのに、勝手に自分というキャラクターをCPUに操作されている気分です。出来る事はそれを眺めるだけなのです。

そういう時は大体、身体全ての感覚が自分に返ってくる感じがせず、呼吸と歩みが目と耳の外で段々と早くなって、どうしようもいられなくなくなるのです。

そのような症状が日常で増えてきてようやく、流石に「何かおかしい」と私も気付いたのです。

そもそも鬱で外に出ることは少なかったですが、外に出る時は「頼むから【アッチ側】へ連れて行かないでくれ」と願っていたものです。

それに至りようやく、私は「離人感覚」や「離人症」といった用語を知ることになりました。

そして、時には5ch(旧2ちゃんねる)や数少ない個人ブログなども回って、自分に何が起きているのかを知ろうとしたのです。

しかし、そもそも情報が少ない上、書かれている症状もバラバラだったり、結局は何が何だか分からなかったのです。

離人症が寛解するまでの経緯

そのような状況で、鬱の症状も悪化の一途を辿っていました。

それは前回の記事に書いたように知らずの内に取り合えず「自己否定」を続けていたからですが、同時にそれも、ある程度行き着いた辺りから鬱の症状は少しずつ良くなっていきました。

そして、その中で私はふと気付いたのです。

【アッチ側】の方が本当なのではないかと。

いや、正確には【アッチ側】も現実と同じく本当なのだと。

だから離人症で【アッチ側】へ引っ張られることも、実はおかしいことではないのではないかと思い始めたのです。現実も所詮夢のようなものなのだと。

これには、鬱になった経験から得た「生きる事こそ最大の自己否定」という結論・価値観も大いに関係していました。

何と言うか、現実を生きることに私を含めて人間は余りにも固執している気がし始めたのです。でも、それは究極的には空しいことな訳です。

そう思い始めた辺りから、私は空気になった気分がするようになりました。

世界に溶け出して、ずっと過ごしている感覚です。

意味不明なことを言っているようですが、私も自然や宇宙の極一部に過ぎないのだと身を持って分かったのです。

そして、そのことに気付いてからは強烈な離人感覚を経験することは減っていき、今でも多少はそういうこともあるのですが、前ほどのしんどさや恐怖は無くなったのです。

離人症が寛解した後の感覚と対処

そういう訳で、離人症が寛解したのか……これは寛解したというか私の場合、「慣れた」というのが正解のような気がします。

繰り返しになりますが、私はある時を境に空気になったような感覚がするようになりました。

それで、周りと自分との境界がぼやけている感覚があるので、基本的には離人感覚は起こらなくなりました。

「自分」の境界がぼやけてしまったので、ある意味では常に離人している状態だからです。

それでもたまに離人感覚に悩まされるときもあって、例えば知らない土地を訪れた際などはよく離人感が起こります。あと、雑踏とかですね。

「自分という存在が居てもいなくても変わらないのでは?」と思ってしまうような場所で離人症状は起こりやすい気がします。

だから多分、こういう私自身にもどこかでまだ自分を認めて欲しいだとか、そういう馬鹿みたいな空しい欲求があるのだと思います。

自分なりの対処法が必要
自分なりの対処法が必要

そして、そのように外で離人症状が現れた時に私が今やっている対策としては、「スマホの画面を見る」ことをしています。

現実感が抜けて、「あ、来たな」と思ったときには、ともかくスマホを取り出して、何でもいいので画面を見ます。Googlemapが多いかもしれません。

そうすると、私の場合はギリギリ自分を保ちながら歩くことが出来ます。(※座っているならジッとしておけば良い。)

こういう風に今でも離人感覚が不意に降ってくることがあるのですが、自分が空気のようになった感覚の後では、離人感が去来するときに「世界への発散が大きすぎる」という感覚がするようになりました。

外界へと自分の意識が大きく広がり過ぎてしまうんですね。

だからスマホの画面を見て、自分の世界に閉じこもってしまえば何とかなるということです。漏れ出る空気に栓や蓋をする、そういう方法でやり過ごしています。

と、ざっと離人症に関する私の体験談を書いてみました。

誰かのヒントになれば幸いです。

では、さよなら。

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