さて、前回の【就活編】に続き、今回は【持ち込み編】です。
【持ち込み編】は、【就活編】で目標としていた「編集」と対する「漫画家」の立場の話になります。
初めて漫画を描いて持ち込みに行った体験談と持ち込みに行った漫画を載せていきます。
「初めて持ち込みに行きたいけど、どんな感じか分からないので怖い」という漫画家志望者は読んで参考にして欲しいです。
また、編集を目指す就活生も「目指すべきは何か」と得ることがあると思うので、是非読んで欲しいです。
目次
私が漫画を持ち込みに行った理由

就活で集英社に落とされた後、私が漫画を持ち込みに行った理由は以下でした。
①編集者の力量を計りたかったから。
②就活から逃げるため。
③「自己表現」をしたかったから。
④実は心の奥底では作家になりたかったから。
集英社に落ちて怒り心頭
完全に私の力不足で集英社に落ちたのですが、当時は全くその事実を受け入れることが出来ませんでした。
「良く分からんメガネ二人組に落とされた」と怒り心頭です。
「何故落とされたのか?」という思いが収まりません。
それだけ思い入れが要らない部分に強かったのです。
今思うのは、本当に思い入れがあるなら受かるようにベストを尽くせって話です。しかし、当時の視野が狭い私にはそんなこと分かりません。
集英社からお祈りメールが送られてきた翌週には就活最後の弾が切れてしまい、それと同時に私の中の糸も切れてしまいました。
それで、6月こそ「就活がNNTで終わった」という現実に放心状態で何も考えることが出来ませんでしたが、
「持ち込みに行って、私より優秀な編集とやらの力量を計ってやる。クソみたいな対応したらただじゃおかん」
という悪魔じみた考えが7月に入った瞬間に閃きました。
そこから1か月で人生初めての漫画を描き、8月1日、持ち込みに行きました。
就活で見えた己の薄っぺらさ
②、③の私的な背景について、詳しくは「シューカツ!」【中編】で書いているので、それを読んで欲しいです。
端的に述べると、就活を通じてこれまでの人生が市場価値として見えてきて、
現時点では、己という人間に望む値段と買い手はつかない
ということが分かったのです。
よって、これ以上就活を続けても望むような結果は得られないだろうけれども、「商品」ではなく「芸術品」という価値ならあるのではないかと必死に自尊心を保とうとしたのです。
ただ、愚かな私は分かっていませんでした。
良い「芸術品」は買い手が付くので、やはり良い「商品」なんだと。
逆も然りです。
潜在的ワナビー
「漫画家志望者」というのはその定義を広くとると、実に多いわけです。
なぜなら、「漫画家になりたい」と言う・思うだけで漫画家志望者なのですから。
お手軽です。今日からあなたも漫画家志望者です。
思うだけでいい、漫画は描かなくていいんです。オススメです。
で、何が言いたいのかと申しますと、
私はこの「潜在的ワナビー」だった訳です。
私が作家になりたいと思ったのは、いつからなんでしょう。
大学で拗らせてからなんでしょうか。
いや、本当はずっと、もっと昔から作家になりたかったんだろうと思います。
でも、私は幼稚なアイデアを頭で膨らませるだけで、実際は何もしてこなかったどころか、行動してる人間を安全地帯から観察して馬鹿にしていたのです。
己の気持ちに蓋をしていたのか、それとも能力が劣っていることを隠したかったのか……いずれにせよ「したい」と思うだけで、でも、いつでも「出来る」とも思っていた。
なぜならば、頭の中には素晴らしい世界があると思い込んでいたから。
そして漫画に限らず、何らかの形で「自己表現」「したい」と思っている人間は相当多いようで、同時に彼らはなぜか謎の自信を持っています。
それは、やったことも評価されたこともないからです。
そういう謎の自信に人間の欲深さと技術革新とが相まって、最近は地獄の様相が明るみになっている訳です。
初めての漫画制作
まず、私の当時(22歳)の漫画家としてのスペックをまとめておきます。
【画力】元々クラスで上から5番目ぐらいに絵が上手い人の画力。落書きはしても、漫画を描き上げた経験は無し。
【ネーム】初めて。映画は好きだが、カメラやレンズ、構図に関する知識は無し。
【話】設定を妄想するのは好きだが、頭から尻尾までの流れで作ったこと無し。

ここでも「三重苦」。
就活同様、人生経験とチャレンジの少なさが身に沁みます。行動が遅いのです。
これを踏まえてここに載せる漫画は生暖かい目で見て頂きたいですが、これが単なる言い訳であることは承知しております。
というのも、別に読者や編集にとってそこに至るまでの過程など、どうでもいい。
目の前の作品だけが全てなのです。
そういう点では、就活は過程を見てくれるだけイージーなのかもしれません。
ただ、就活も持ち込みも経験して言えるのは、
就活生が就活にそれまでの人生をかけるように、漫画家志望者は作品に人生をかけているのだということです。
これを編集志望の人はどうか心に留めておいていただきたい。
(※漫画家志望者の人も、目の前の編集は選りすぐりのエリートなのだと心に留めておこう)
そういう風に考えると、編集は決して最後まで漫画家志望者には適当な態度はとれないはずです。
でしょ?
就活の際、人事に嫌な態度を取られたことのある人なら分かるはずです。
(しかし同時に、編集になるようなエリートはそのような経験をしないのか?と懸念する)
それでなくとも、ヘタな恨みを買ってしまえば企業の価値を落としてしまう可能性があるので、そういう点からもやはりそこは選ばれしエリート社会人として編集者は仮面を被ってあげるべきです。
つけペンが使えるのは当たり前じゃない

7月1日に漫画を描くことを決心し、早速道具を集めました。
情報を集める前に道具を集めたおかげで原稿用紙の使い方が分からない上、ペラッペラッな紙を選んでしまい、直ぐに繊維がボロボロになって描きにくかったです。
私の計画では2日間でネームを完成し、その後一日1ページ作画を仕上げ、一か月後の8月に持ち込みに行くというものでした。
初めてだから見積もりの甘さを含めこんなものだろうと。
そしてクオリティはともかく、勢いそのままネームは順調に30pほどのものが完成したので作画に取り掛かることに。
しかし、作画に取り掛かって、ここで初めて気付きます。
Gペン(つけペン)が全く使い物にならない
漫画を一度でも描いた人なら当然のことなのですが、意外とこれが外部からだと分からないのです。
下手すれば、編集ですら分かっていない人がいるのではないのか?
私達はプロの洗練されたペン入れ・線だけを見ているので、それが当たり前のことなんだと勘違いしてしまっています。
気になった人は1000円ぐらいで実際に試してみて欲しい。
編集志望で知識だけある人も、感覚で知ってみて欲しいです。
断言しますが、まず思ったように線は引けないと思います。
Gペンを始めとする漫画特有のつけペンというのは、線に「入り抜き」という強弱をつけるために特殊な構造をしています。
少し力を入れただけでペン先がパッカパッカ開いてインクをぶちまけるので、私は直ぐにGペン及び、丸ペンを使うことを諦めました。
それで結局、私はペン先が固くて扱いやすかったスクールペンとカブラペンで作画を無理矢理進めました。
それにしても、あれが上手く使える人は手の神経が発達していて、相当に器用なんだと思います。練習と才能の賜物です。
そこまでにどれだけの時間と努力を費やしたのだろうか。
そして、その努力を私はここまで一切行っていないのです。
ここで初めて、
作画は空間把握能力だけでなく、工作的な能力もいるんだ
と気付きました。(今更!??)
作業が進むにつれて、集中線、ウニフラ、ゴムかけ、ベタ……こんなメンドクサイことを何気なく読んでいた漫画はやっていたのかよ……!!と吐き気を催しました。
綺麗に出来ないし、イライラするし。
プロってのはその時点で凄いんですよ。これが当たり前だけど分からない。
デジタル化が進むということは、こういう能力での差が埋まっていくということでもあります。
恐怖!「尾田栄一郎」超えを確信!!
こうして様々な苦労を味わいながら、8月1日、持ち込み当日の3時に何とか初めての漫画を描き上げました。出発時間まであと2時間です。
そのまま支度をして、新幹線で東京です。
さて、初めて漫画を描き上げた当時の感想はこうでした。
「尾田栄一郎」、超えたな(確信)
えっ……
怖い
ペン入れもマトモに出来ないのに??
漫画を一回も描き上げたこともないのに??
何が当時の彼にそう思わせてしまったのか……。ホラー以外の何物でもありません。
しかし、注意してください。
これは私だけでなく、あなたにも起こりうる現象です。
色々な持ち込みルポを見ていますと、私ほどまでのぼせ上がることはなくとも、こういう心境、「持ち込みハイ」になっている人がかなり多いことに気付きます。
そして、それらの人には共通する事項が2つあるのを発見しました。
①初めての持ち込みであること
②期待に反して、編集から良い感触を得られないこと(思っているほど作品が面白くない)
これが何を意味しているのか分析をしてみるに、
” 漫画が下手な人間は、自身の作品が客観視出来ていないのではないか “
という結論に至りました。
どういうことか。
まず、私はこの手の持ち込みルポで、そのまま連載に繋がったという体験談を見たことがありません。
せいぜい、編集者から名刺を貰っているぐらいです。
そもそもすんなり作家デビュー出来た人がこんな暇なルポを書こうと思わないということはあると思いますが、
要は「一定のレベルに達していない」=「漫画が下手」なのです。
では、「何が下手なのかな」と考えてみると、多くの人はまず「絵が下手だ」と言われていて、その次に話やキャラクターがダメだと言われているので、やはり「絵が下手」「話が下手」なのかなと思ってしまう。
しかしですね、それだけでは「尾田先生を超えてしまったな」とか、「連載確約だな」とか思い上がることはないはずなのですよ。
だって、「下手」だって分かってるはずなんだから。
ただ、現実はそうでなく、「自身の作品がジャンプに載る」と思って持ち込みに行って、撃沈して帰ってくるわけですから、
「下手」だと分かっていない=自身の作品が客観視出来ていない
としか、結論付けることが出来ない。
しかし、よく考えるとこれは自然なことで、初めて持ち込みに行く人の大半はおそらく、それまで周りの人間に自分の作品を見せたことがない人だと思います。
もしくは見せてみても、身内感があるためにキツイことは言われていない人だと思います。
それが「編集」という、作品を真摯に見てくれる外部の人間と対面することで、初めて自身の作品の客観的な評価を得る訳です。
つまり、そもそも外部の「客」がそれまでいなかったということです。
そして外部の「客」を意識して初めて、今度は自分自身を客観視する重要性に気付くわけです。
したがって、実際に様々な持ち込みルポを読んでいると、2回目以降の持ち込みは漫画の技巧、どう改善するかを話していることが多い。
これは、1回目で自身の相対的な価値が分かったため、今度は如何に自分の作品を客観的に良くするかということに視点と段階がシフトしているからなんだと思います。
「芸術品」から「商品」への転換と言いますか、就活と同じ現象がここでも起こります。多分、婚活も同じです。(現実を自分が認めるかはともかく)
世知辛いのですが、面白い漫画は突き詰めるとビジネスライクな考えが根底にあるのかな、と思います。
そしてそれを補うのが「編集」という存在なんだと。
これは私達が生物であり、出版社が営利企業である以上、稀代の天才、優れた「芸術品」以外は避けて通れないことなんでしょう。
初めての持ち込みルポルタージュ
さて、ようやく持ち込みについてです。
漫画の完成見込みが立ち、かつ退路を断つという意味で、8月1日の2週間ほど前に電話で約束を取り付けました。
「○○と申します。そちらの編集部に持ち込みを行いたいと考えているのですが、8月1日13時頃のご都合はいかがでしょうか?」という感じに電話した気がします。
電話のかけ方が不安な人がいると思うので少し書いときました。
私が持ち込みを行ったのは、集英社「ジャンププラス」と小学館「ゲッサン」でした。
あれ?
ジャンププラス??ゲッサン??
お前は就活の時、「ウルトラジャンプ志望です」って言ったのに??
お前は就活の時、小学館はそもそも受けなかったのに??
はい、細かいことは気にしない。
メチャクチャ作家視点で持ち込み先を決めました。
それはこの当時、後に載せる自分の作品がとてもセンセーショナルな作風だと思っていたのがありました。
「ゲッサン」はその創刊経緯からキチンと作品を見てくれそうだなということで選びました。
そして、少し対象年齢高めの表現が許されて、かつこれから見てくれる人が増えそうな「ジャンププラス」。これが本命です。
持ち込みの事前知識
今更ですが、「持ち込み」とは、「出版社に自分の作品を直接持っていくこと」です。
ここで注意していただきたいのが次の3点です。
①編集者に作品を見てもらう方法は、「持ち込み」以外の方法もある。
①について、作品を郵送し、それについて電話で感想をもらうみたいなことも可能です。
地方に住んでる学生などはお金の面でも厳しいですから、これは当然のシステムです。また集英社には「ウェブ持ち込み」なるものもあるらしいです。
ただ、あなたが連載を持つならば編集とは切っても切り離せない関係になるのですから、顔ぐらいは一回見てみてもいいと思います。
少なくとも、私はそういう古臭い考えがあります。
そして私も関西在住で別に東京が近い訳ではないのですが、持ち込みで良かったと思います。
主観ですが、少なくとも、集英社の人は真摯だと思いました。
実際に持ち込んで編集と顔を合わせてみることで、どういう態度でこの人達が漫画に取り組もうとしているのかが空気として伝わり、批判がしにくくなりました。
結局は対人間ですから、こういうことが分かるのはいいことです。
ですので、持ち込みが初めてだという人は尚更、周りに頭を下げてでも持ち込みした方が良いと個人的には思います。
②「作品」は完成原稿が望ましい。自信があればネームでいい。
②について、完成原稿が望ましいのは確かで、各サイトにもそう書いてあるのですが、よほど自信があるのならばネームでもいいのではないかと思います。
というのも、編集の人は「面白いか面白くないか」、結局はこの一点で判断しているなと思ったからです。
「絵が下手」「ここがダメ」……結局は総合して「面白くない」ということなんだと思います。
だから仮に作画が済んでいないものを持って行っても、それが面白ければ許してくれる気がします。
(大抵それが面白くないから、せめて評価が出来る完成原稿を持ってこいってことです。)
ですので、自身の優れた世界観があると思うならば、作画が出来なくとも、ネームという形にしてドンドン見せてみるべきだと思うのです。
才能を自分の中だけにしまっておくのはもったいないですよ。形にしてナンボです。
あなたは「尾田栄一郎」を超える作家かもしれないのに。
③「直接持っていく」ということは、相手の都合があるということ。
③について、持ち込みは緊張するので、ついつい自分の事ばかり考えてしまいますが、直接持ち込むということは、相手の都合があるということです。
少し早めに着くようにする。
あまりにも酷い遅刻をしそうならば、電話を入れる。
挨拶する。(←これは残念ながら、私も緊張してちゃんと出来なかったかも)
こういう事は出来なくても、キチンとすべきです。社会人を少しばかり経験した今は尚更そう思います。
編集の人は全てを兼ね揃えたエリートかつそういう人達に慣れているでしょうから優しく対応してくれると思いますが、時間を割いて貰っているのですからやりましょう。
ただ、同時に編集者も人間です。
遅れてくることや、約束を忘れていることもあると思います。
私は、集英社では約束の時間から30分待ちました。会議が伸びたのかもしれません。
小学館では20分待ちました。待たされた挙句、本来約束していた人とは違う人が来ました。スケジュールが空いてなかったんでしょう。
こんな事は、まあ、ありますよ。
編集者は漫画だけ読んでいる訳ではないですから。
だからもし、こういうことが起きても、別に嫌われているとかそういうことではないので、無駄に勘ぐったり落ち込んだりすべきでないと言っておきます。
集英社へ持ち込み
(当時、写真は撮っていません。この写真は東京に住んでいる妹に取ってきてもらいました)

集英社のビルに入ると、まずは受付へと向かいます。
受付で「持ち込みで、○○さんと○時に打合せの約束をさせていただいています。○○と申します」と言うと、お姉さんが内線を回して確認をとった後、何か書かされて、例のブースに通されます。
例のブースというのは、『バクマン。』でも描かれている、仕切りブースです。
本当に漫画と同じ場所で編集と話せてしまいます。
まだ漫画家にはなっていなくとも、それだけでプロっぽい気分を味わえてしまいます。
そしてブースに座って待っていると、隣のブースから他の人の打ち合わせが聞こえてきます。
まあ、詳しい内容を書くのは止めておきますが、それを盗み聞いて私は「それはダメ♡」と上から目線で思ってました。
なんせ、その時私は「ワンピース」以上の作品を持ってきたと思っていますから。
そうしていると、編集者の人がやってきました。(イニシャルも伏せておきます)
直後の会話はこんな感じでした。
編集:「○○です、よろしくお願いします」
私:「○○です。よろしくお願いします(上ずり声)」
編集:「若いね、大学生?いくつ??」
私:「はい、大学生です。22歳です(ジュル)」
編集:「卒業に際してって感じ?」
私:「そんな感じです(ニチャ……)」
編集:「ジャンププラスに若い子が持ち込むっていうのは珍しいんだよ、大抵はもう少し年齢が上の人ばかりだから。なんでジャンププラスに持ち込んだの?」
私:「アッ、ジャンププラスはこれから電子書籍のシェアも増えて、来ているんじゃないかと注目していまして(早口)、、、あと、自分の作品の表現が少し対象年齢が高めで、変わった表現だからですかね、まあ、これから見て貰えば分かると思うんですけど(微ドヤ)」
相変わらず気持ち悪いな私、という印象ですが、
「ジャンププラスに持ち込む人の年齢が高めだ(2017年時点)」という話は面白いことを聞けたなと思いました。
やはり、漫画家志望者の第一希望は「週刊少年ジャンプ」で、その次には「マガジン」とかに回っていくのかなと。
それでイマイチ芽が出ないから、後になって電子書籍に回ってくるのかと推測しました。
ただ、今はどうなのか分かりません。
個人的には、近年特にジャンププラスは人材発掘にかなり意欲的なことをしていると思っていて、それを感じとった若い漫画家志望者が持ち込むことが増えているかもしれません。
さて、社交辞令的な会話が一段落した時点で、
編集:「で、早速書いてきてくれた漫画見せてくれる?」
と切り出されます。
「キタ!!」と思った私は自信満々にガサガサと原稿を取り出し、編集に差し出しました。
処女作「空(くう)」です。

(当時の作品のクオリティをより感じてもらうために、二値変換等のデジタル処理はせずに載せていきます)
ざっと粗筋を述べると、「武=悟り」を教義としたカルト宗教の坊主達が、50年に1度行われるトップを決めるためのバトルロワイヤルに参加するという話です。

それにしても、なぜ「カルト坊主」で「海賊王」に勝てると思ったのだろう。
当時の心境が思いやられます。
相当頭がイってしまっていたんだと思います。

ちなみに読み切りではなく、全8巻の1話目想定で話を作っていました(^^;
当時はこのまま連載が固いと思っていたんです。
やはり、相当頭がイってしまっていたんだと思います。
また、思ったより記事が長くなりすぎているので、『空』の全ページ掲載や設定、詳細な反省等は別記事で行いたいと思います。
編集舐めていました、すいません
「編集が漫画を読むスピードは異常に速い」という話は、凄く出回っている割に実際はそうでもないという話も多いです。
私の場合もテンポこそいいもの、1ページ1ページちゃんと読み進んでいました。読むポイントが分かっているというだけなんでしょう。
ドキドキしながら、私はその様子を眺めます。
ただ、偶に顔をしかめながら読むスピードが一瞬落ちるんです。
しかし、私はそれを「よく読んでくれているんだな」と思っていました。
そうしていると、遂に途中で読む手が止まり、ページを1つ前に戻してしまいました。
そして、編集がここで初めて口を開きます。
編集:「あれ?これ誰?何やってるの?分からない。この人が主人公を殺したの?」
……あ!!
そういうことだったのか(^^;
読む手が止まっていたのは、読みにくいからなのか。
ここでようやく、そのことに気付きました。
そして、いそいそと説明を行います。

私:「いや、これはモブの坊主です。前のページを見て下さい。ここに刺さっている坊主の首です」
編集:「ああごめん、見にくいから何か分かんなかったよ」

説明をしながら、体温が一瞬で2度ぐらい上がったような感覚がしました。
なんだか急に物凄く恥ずかしくなってしまったのです。
しかしそれでも、「あれ?おかしいな?」と脳だけはまだ現実を理解するのを拒みます。
編集:「うん、ありがとう」
最後まで読み終えた編集はそう言って原稿を渡し、評価を始めました。
編集:「まず、絵が下手だね。やっぱり絵が良くないと読んでもらえない」
思わずムッとした私は、反論します。
私:「絵ですか、絵のどういうところがダメなんでしょうか?一応、デッサンは意識して頑張ったのですが」
編集:「んー、デッサンとかじゃなくて全部だから難しいんだけど、例えばこのページとか。向きを変えてるだけで、単なる立ち絵。全体的に同じポーズばかりなんだよね」

あっ。
この瞬間、一気に自分の絵が生ゴミに見え始めたのを今でも覚えています。
完全に魔法が解けてしまいました。
確かにそうだ、なぜ気が付かなかったのだろう。
しかも、なぜこれが人様に見せれるレベルのものだと思っていたのだろう。
そんな私を傍目に寸評はさらに続きます。
編集:「それに、誰が何をやっているか分かりにくい。……好きな漫画は何?参考にしている漫画とかは無いの?」
私:「好きな漫画というか、一番読み返しているのは『アイシールド21』ですかね。ただ、あれは村田先生の画力は高すぎて真似できませんよ」
編集:「流石に村田先生並みになれとは言わないけれども。構図とか、参考になるものはあるだろうから」
ここで気になった私は、こういう質問をしました。
私:「あの、編集さんが上手いと思う漫画は何なんですか?」
編集:「ONE先生の『ワンパンマン』かな。何をやっているのかすぐ分かる。上手い。読んだことある??」
私:「読んだことはありますけど……」
意外でした。
直前に村田先生の話をしていたので私が知っていそうな漫画を挙げたのかもしれませんが、それでもONE先生版の『ワンパンマン』を挙げられたのにはかなり驚きました。
同時に、「完敗だ!もう止めろ!」と頭の中が叫びました。
認めたくはないけれども、敗北感を心の奥底では感じたのです。
というのは、少なくともこの編集の人は、
「絵が上手い」=「与えたい情報がキチンと読者に伝わる」
と考えていることが分かったからです。
ONE先生版の『ワンパンマン』という答えを聞いて、それまでのやりとり全てが府に落ちました。
要するに、漫画の「絵」という要素は作者の頭の中を読者に伝える「コミュニケーションの手段だ」と位置付けているんです。
それは作品の「説得力」です。
私は、「絵の上手さ」とは「デッサン」だと思っていました。
それで編集に噛み付きました。
そして、確かにこれも間違ってはいないのです。
しかし、正解ではありません。
大半の読者が違和感を感じるぐらいに空間やオブジェクトが歪んでいたら「説得力」がなくなります。だから、「デッサン」を頑張ろうということなんです。
同様に、勢いよく敵を殴りつけるシーンで静止画みたいな止め絵が小さいコマに書かれていたら「説得力」がないはずです。だから、「絵に迫力がない」と言われるのです。
つまり、「デッサン」とか「絵の迫力」とかは単なる評価のステータスであって、それはやはり練習で補わなければならない項目であるのは間違いないのですが、
「絵が下手」と言われることは、本質的に「読者とのコミュニケーションが下手」と言われている
ということに気付かされました。
これは話の構成面でもそうだろうし、ひいては今まで私がやってきた就活にも通じるところがあります。
これはもう、完敗です。
そもそも、漫画という表現物に対する考えという点でも私は遙かに劣っていました。
加えて何より、こんな生ゴミみたいな作品を持ってきた世の中ナメ太郎に対しても、大人で真摯な対応をするだけのコミュニケーション能力を私は備えておりません。

その後途中、話の構成や演出についても少しだけ話したりしまして「時間が来たから」と終わりになりました。
そして最後、名刺も頂けませんでしたが、
「また描けたら持ってきてね」と言われ、そのまま別れました。
あのですね、この一言は中々言えないですよ。
(※ちなみに小学館では言われませんでした。)
(※ただ、作品のクオリティと私の態度を踏まえると小学館が当然の対応なんですよ。しかし、雑誌の売り上げの差はこういう所の差なのかなぁと思います。)
良い作品を見極めるだけなら、私でも出来る気がします。簡単な仕事です。
しかし、劣悪な作品を持ってきた頭のオカシイ人間に対して、それなりにキチンと対応できるのか。
私なら出来なかったでしょうね。
編集舐めていました、すいません。
私が集英社に落ちたのは、必然でした。
書きたいことと脱線が多すぎて長くなったので、とりあえず終わりにします。
何かしら参考になったでしょうか?
小学館で言われたこととかを踏まえた、詳細な反省はまた別記事にしようと思います。
では、さよなら。