優良人売りIT企業(SES)に新卒で就職・退職した経験談と客先で得た知識

プログラミングの参考書は役に立たない

人売りIT企業(SES)に関してネット上ではどちらかというとネガティブな情報が多いので、就職を躊躇している人は多いのではないでしょうか。

しかし、私がたまたま新卒で就職した人売りIT企業は「当たり」だったので、私の個人的な資質が原因で退職してしまったものの、社会人・技術職として多くのものを得ることが出来ました。

こういうパターンもあるのだというポジティブ気味な?体験談を書いておこうと思いました。

新卒で人売りIT企業(SES)に就活する人などにも、将来のビジョンを固める参考になればと思います。

優良人売りIT企業(SES)を退職するまでのキャリア・得た経験と知識

私は新卒(既卒)で人売りIT企業に就活・就職し、1年8か月勤めた後、退職しました。

まず私がその期間、どのような過ごし方をしたのか以下に書いてみます。

①本社(100人規模の中小企業)で新人研修:約半年

②客先(大きな施設)でキッティング作業:約2週間

③客先(関西規模の大企業)で雑作業:約3か月

④客先(全国規模の大企業)でソフト開発:約10カ月

そして、どのような経験を積むことが出来たのか以下に書いてみます。

  • 社会人としての基礎的なマナー(名刺交換、電話応対等)
  • マニュアル書作成等の雑作業
  • キッティング作業
  • SQL、ラダー少しだけ
  • WordPress、html少しだけ
  • C、C++でのソフト開発経験
  • 国内・海外出張

こう見てみると、自分でもトントン拍子で経験を積ませてもらったなぁという感じです。

そして、会社の規模的にも色んな場所を見ることが出来たなぁと思います。

(※それで本質的にはどこも変わらないので、せめて就職するなら待遇がマシな大企業にやはり就職すべきだとも思うわけです。)

ですので、今でも私に期待して経験を積ませて頂いた会社及び客先には感謝しています。

しかし、自分の気質的にどうしても限りある人生の多くを犠牲にしている上、周り(主に本社の上司と営業)にも迷惑をかけていたので、退職に至ったという訳です。

一言で言うと「我慢できなかった」。

まあ、ここら辺が気になる方は「シューカツ!」シリーズにも退職に至った理由を少し書いてあるので見てみて下さい。

そして以下からは、私は勤めた会社ごとにそこでの仕事や体験を書いていくのですが、どうしても一部の情報を隠したり、場合によっては脚色せざるを得ないかもしれないことを断っておきます。

というのは、自他共に色々な理由があるからです。「大人の事情」です。

ただ、事実をそのまま書いてあることには間違いないです。

中小企業の本社で新人研修(半年)

新卒入社した会社は100人規模の中小企業でした。

オフィス街の一角に建っているビルに入った、普通の会社です。

ちなみに人売りIT企業あるあるですが、オフィスは一度に人が最大で40人ぐらいしか集まることがことが出来ない広さです(笑)

それでも、一般的な?人売りIT企業とは異なり、仕事を(請負契約で)中に引っ張ってこれる人がいました。

それで社内勤務している人がいくらかいて、私のような新入社員は社内で座学と少し技術に触れた後、客先に出るというシステムが確立していたのです。

こういう所が「当たり」、すなわち優良人売りIT企業だと私が思う所以であります。

今思えば、新人歓迎会や部署飲みなどにもいくらか連れてってもらえたので、良い会社でしたね。

新人研修は半年間でした。

大企業に就職した知り合い何人か曰く、これが大企業であれば、1年間は下積みという名目で現場でパシリをさせられたり、意味あるのか分からない研修を受けさせられたりするのですが、中小企業にはそんな体力はありません。

半年間の社内新人研修では、電話応対や名刺交換等の基本的な研修(社外には委託せず社内で済ませていました)を行い、それと並行して電卓や時計など簡単なソフトの中身部分をC言語で作ったりしました。

私の数少ない同期の中にはプログラミング習得の進度が早く、4か月ぐらいでキッティング作業に駆り出されている者もいました。

しかし、私は中々プログラミングの学習が進まなかったので、キッティングの現場はあまり経験することが出来ませんでした。

ちなみに、プログラミングの学習に関して、市販の参考書は全くと言っていいほど役に立ちません。

プログラミングの参考書は役に立たない
プログラミングの参考書は役に立たない

こういった参考書は、プログラミングを覚えた上で「思い出す」のに役に立つのですが、学習の順序としてはむしろ挫折させてしまうもののように思います。

私はネット上で良いと言われていた参考書を3冊ぐらい買ったのですが、全て無駄でした。

あれはそもそも「プログラミングが何たるか」を理解している人間が後から書いたもので、初学者には適していないです。

「プログラミングが何たるか」を言葉ではなく感覚で掴めるような教材っていうのはあるのでしょうか?

これが原因で私はプログラミングの学習が遅れてしまい、本を読んで家で自習しても、ちっともC言語の「ポインタ」などが分からないどころか、勘違いした知識を入れてしまって余計学習が遅れました。

それで同期の中で一番遅れを取ってしまい、毎日家に帰っては夜不安になり、酒を飲んだり、会社では要らない空回りばかりしてしまいました。

(※しかも、電話応対すらもかなり苦手で、それも心苦しかった。)

結局、私が本当にプログラミングが分かるようになったのは、3つ目の現場でバリバリに製品の中身を弄るようになってからでした。

こういう部分が外からでは分からないから、「プログラミングスクール出身の使えない技術者」みたいなのが業界で問題になるのでしょう。

最初で最後のキッティング作業

そんな私も、半年経って一応の「社員」となったということで、ようやく初めてのキッティング作業で外に駆り出されることになりました。

「キッティング」というのはコンピュータなどの情報機器を導入する際の設置・設定作業、例えばソフトのセットアップのことです。

そして、このキッティング作業というのは人売りIT企業(SES)に所属していれば、必ず経験することです。

何故ならば人売りIT企業にとってはキッティング作業は「小遣い稼ぎ」だからです。

手順書さえあれば、パソコンの知識が少しある人間を数さえ用意すれば出来るような作業であるにも関わらず、ちょっとした専門性と頭数の問題から上流から下流へ大金が抜かれながら流れてきます。

そのため、キッティング作業を受けない派遣IT企業はないのです。

そして、私が行ったキッティング作業というのは、ある大きな施設にあるパソコン全台にソフトウェアをセッティングしていくというものでした。

結構な台数でしたので、私を含めた同期の新人何人かに加えて、他社からも何人か人が日替わりで調達されて、2週間ぐらいかけて回っていきました。

この作業で私が今でも覚えていることが2つあります。

1つは、私が現場に到着した後、自社の営業から他社の営業へ引き渡され、他社のタグと名刺を受け取らされてから現場に入ったことです。

これは、私の会社がその他社から仕事を下ろされた(中抜きされた)のでそういうことになったのですが、当時も今も「ナニコレ?(笑)」って感想しか出ないです。

笑うしかないですよね。「一体、私はどこの会社の人間なの?」って。

もう一つは、私が直接その被害に合った訳ではないですが、プロパー(元請けの正社員)に怒鳴られている人の姿を見たことです。

そもそも、私がそれまでに社会で怒鳴られるというまでの怒られ方をしてこなかったのもあるのですが、上司でも直接取引した訳でもない人間に、ここまで怒られることがあるのかとヒヤッとした瞬間でした。

加えて、元請けは大企業の○○○だったのですが、明らかに切迫した雰囲気と、私達のような他社の人間の前で部下をネチネチといびりまくるというような行為を隠す様子が無かったので、「社会って歪だな」と思わざるを得ませんでした。

作業で得たことは「キッティングをした経験」だけでしたが、それ以上に社会での「横の繋がり」を初めて肌で実感することが出来て、私としては少し仕事が楽しいと思えた経験でした。

話と違う現場とパワハラ無能上司

キッティング作業を終える前後の時期、私の派遣先の調整と面接が進められていました。

同期の新入社員と一緒にいくつかの企業(どれも自社と比べると大きな企業でした)を面接し、私はある企業から声がかかりました。

少し業界が特殊なのでぼかす部分が多くなるのですが、関西では有名な企業です。

聞く話によるとシステム開発のプログラマを募集していて、2~3年雑作業をしながら仕事の流れやプログラミング、他の技術も学んで、そのプロジェクトに参加して欲しいというものでした。

初めての客先常駐です。

私としては、この時点ではIT業界も社会も肌で分かっていなかったのもあって、何より自社と他社、ひいては社会のためにようやく役立てるのが嬉しかったのを覚えています。

そうしてやる気満々に客先で働き始めて初日、まず「ん?」というようなことがありました。

私に仕事を引継いで欲しいから、その人に先ずはついて仕事を覚えて欲しいというのです。

2日で(笑)

思えば、派遣される前からオカシイことばかりでした。

キリの良い日からではなく今からでも直ぐに来て欲しいという話は、こういうことだったのかとその時に理解しました。

しかし、この当時はやる気に溢れていたので、仕事を真面目に引き継ぎます。

知らない作業マニュアルのマニュアル書作成です(笑)

その他にも、どさくさに紛れて社内サイトの更新作業や電話応対等の社内でのやり取り作業の一部も任されました。

「雑」作業の範疇ってやつです。

まあ、おかげで苦手だった電話応対も数をこなしたおかげで慣れましたし、資料作成やWordpress、html、SQL等の知識がオマケで身に着いたので結果オーライです。

しかし、今ではこうして笑って良かったなと思えるのですが、当時は本当に私も日々切迫していました。

ただでさえ苦手で慣れない仕事を任されている上、上司が変な人だったのです。

一言で言うとパワハラ上司です。

7割方怒っていました
7割方怒っていました

私がすることの8割ぐらいにケチをつけたので、もう思い出すのも逆に苦労しますが、隙あらば変なマウントを取られました。(その度に仕事は止まり、増えて返ってくる。)

イライラすれば物に当たり、舌打ちと物音が治まりません。目にしたときの7割は何かにずっとイライラして怒っています。

直接怒鳴られたのは私は数回でしたが、人が理不尽に怒られていたりそんな人が同じ空間にいるのが、私にとってはかなりストレスでした。

その上司が視界に入っている間は心臓の動悸が治まりませんでした(笑)

(※パワハラには6類型あるらしいです。)

ただ、そんなパワハラ上司も社会全体水準で見れば、部署に一人はいるレベルの「普通の人間(?)」なのだとも思います。

自殺者が出るような真の「パワハラ」に比べれば生温いものだとは私も当時から思っていました。だからこの程度で「パワハラ」だと言ってしまうことに後ろめたさもあります。

それでも私の乏しい人生経験ではそのような人間を見たことが無かったのもあって、結構な衝撃を受けてしまいました。

ちなみに一つ補足させていただきますと、この上司というのは書面・立場上の上司であって現場の上司ではありません。

現場での実質的な直属の上司は、これまた客先常駐している他社の派遣社員であって、しかも大概のプロパー(派遣先の正社員)より歴が長いという、意味不明な状態でした。

というか、私の部署は実質的には派遣社員しかいなかったのです。しかも、仕事が回る(回っていない)最小限の人数の。

それで通常業務を回すことで精一杯だったので、私が技術的な事を教わる時間そのものがありませんでした。人が足りていないため、現場の主力=教育係だったのです。

そして何よりしんどかったのは、このパワハラ上司というのが何をしているのか全く分からないのです。

大体の一日の予定が「会議・打合せ」であって、私が本社に提出しないといけない書類にハンコを貰う事すら困難なぐらい、現場にいませんでした。

しかし、フラッと現場に現れたと思えば、新しく仕事を押し付けてきたり、机の配置換えなど何の意味も優先度も無い仕事を増やしてきます。

それだけで終わればまだしも、大概は「現状把握」という名目で会議やミーティングをセットで行います。その度に現場の主力が連れ出されて現場の作業がストップしたので、確かに「現状把握」出来ていなかったのでしょう(笑)

「会議・打合せ」の類って、その間には何も進まないのに時間は過ぎるので、仕事やってる感だけは確かにあるんですよね。

この「会議中毒者」はどこの企業にもいました。

加えて、元々私が入る前から色々とゴタゴタがあってボロボロな現場だったようですが、サーバーが吹き飛んだり、普通では有り得ないドタバタイベントが1ヶ月に1回は発生していました。

その度に、派遣社員の私達が無能パワハラ上司の代わりに対応しなければいけないので通常業務が溜まっていきます。

せめて人を増やせばまだ解決するのに、それは体裁と立場が悪くなるのでしません。

パワハラをする人間というのは自身のちっぽけなプライドを守るのが最優先な人間なので、基本的に無能なのです。

結局、私はそんな日々のストレスに耐えて出勤していた所に、最初に押し付けられた2日間での引継ぎ作業が完全に出来ていないと怒られて、心の糸が切れてしまいました。

忘れもしません。クリスマス・イヴの1日前です。

「とんだ早めのクリスマスプレゼントだ」と思って、仕事の帰り道、脊髄反射的に本社へ「仕事辞めたいです」と半泣きで電話したのを覚えています。

何とか本社の上司や営業と話し合って派遣先を変えるということで話が着きましたが、思えば、この時から「退職」という言葉がずっと頭をよぎっていた気がします。

大企業は、やはり大企業

そういうゴタゴタがあったので、会社は私にとっておきの派遣先を用意してくれました。

それは、テレビでCMをやっているような全国的な有名大企業です。

ある部署に色々な事情で若いソフト担当者がいないので、プログラミングも教えるからソフト開発に携わって欲しいというのです。

ここで今言えることは、基本的にこの業界は(一定の能力がある)人が慢性的に足りていないという事実があるものの、外部から人を調達する選択をしている以上、全てが甘い話は無いということです。

しかし、同時にもう一つ言えることは「大企業は、やはり大企業」だということです。

初めてのソフト開発経験

私がその大企業で任されたことは、先ず既存の製品をカスタマイズする事でした。

製品のソースと開発環境を丸ごとポンと渡されて、「先ずこれ読んで、何しているのか把握して」という所から始まり、その後に「こういう改造するから」と言われて、それに合わせて私が修正する。

そして、それを現場の上司に見てもらって、合ってるかどうかを確認してもらうという手順です。

この作業は私にとって、かなり重要な経験でした。

そもそも、そのような製品のソースを丸ごと読んで構造を理解するという経験が無かったので最初は当然サッパリでしたが、不思議なことにそういう経験をすると「プログラミングが何か」ということが分かっていったのです。

新人研修や参考書では結局イマイチ分からなかった「ポインタ」の使い方も、ようやくそこで理解しました。(分かってなかった……)

加えて、これは就活の話の所で少し書いたのですが、C言語を用いる部署にいる人達というのは基本的に職人気質の人が多いです。

特有の頑固さみたいなものはあるものの、仕事はなんやかんやで教えてくれますし、自分がする仕事には責任感があったので、私にとっては楽な環境でした。

そうして新しい職場に入って3ヶ月ほどは、ようやく心の安寧がありました。この時は純粋に働くのが楽しかったです。定時で帰れましたし。

ちょうど、これで新卒入社して1年ほど経った頃ですね。しかし、その頃ぐらいからまた別の問題が出てきたのです。

というのは、製品のカスタマイズをこなせるようになったぐらいで、その製品のマイナーチェンジ版を任されたのです。

ただ、マイナーチェンジといってもハード側が結構変わっていたので、それに対応する部分をキチンと作らなければならなかったのですが、ハード側の事情で、私は現物を見たことが無かったのです。

それでもカスタマイズはこなせていたので何とかなるだろうと思って、私はソフト側だけ見てソフトを用意していました。上司も私をある程度信頼してくれていたので、あまり確認をしていませんでした。

そして、いざそのハードの現物を見て私は絶望しました。

「100%、このソフトでは動かないな」と分かってしまったからです。

ハードが大きく絡むソフトの難しさというものが初めて分かった瞬間でした。

そしてハードとのすり合わせは、ほとんどソフト側が行わなければならないのです。でも、そんなことは入社2年目の新人に分からないですよね?

しかし、そんな事情はお構いなしに、納期だけはちゃっかり近づいていました。

そこからは焦りしかありませんでした。

とりあえず、優先事項が高い部分をバーッと直しては「ん?何か動きませんね」と言って、その場で修正の繰り返しです。

まあ、残業や休日出勤はいくらかしたものの、幸いなことにこれで何とか大きな問題は発生せずに直しきることが出来たので胸を撫で下ろしたのですが、同時に「これが製品として出荷されて良いのか?」とも思いました。

しかも、ソフトの大部分を実際に弄ったのが私でしたので、出張にもついていかないといけないという、そういう事情で出張も経験させて頂きました。

出張前は胃がキリキリ痛みましたよ。出張先では胃腸炎になってた覚えがあります。

その後、他に2つの製品にも関わらせて頂いたのですが、それらは開発資源はあるものの、立ち位置としては新製品でした。

特に片方は私がやらなければ納期までに完成しないというぐらいまで関わってしまったおかげで、最後の半年間ぐらいは常に心が休まりませんでした。

ただ、そのおかげで海外出張出来たというのは良い思い出です。しかし結局、積もるものが自分の中であったので、製品開発が一段落したタイミングで退職したのです。

出張先で少し観光しました
出張先で少し観光しました

それでも問題ないのが、大企業たる所以です。

でも、会社なんて本質的に変わらないから大企業

上には書きませんでしたが、実は私のいた大企業の部署の部長というのも、パワハラで恐れられていた人間のようでした。それで会社を去った人間もいるようでした。

しかし、私の現場の上司がクッションになっていて下さっていたようで、私が直接その現場や被害に出くわすということはありませんでした。

その部長が現場のキャパ以上の仕事を取ってくるので人員が足りなかった、それも私が派遣された理由の一つであったようです。

ただ、そういう裏側が見えてきた時に会社なんて本質的にどこも変わらないのだと思いました。

ガックリしてしまいました。

そして、だからこそ皆就活で大企業を目指して、学歴や資格を求め・誇示するのだろうと今更ながらに気付いてしまったんですよね。

「どうせ一生の半分は働くなら給料や待遇・社会的立場の高い方が良い」という、本当にただそれだけのために日本人の多くは人生の4分の1を注いでいるんだなと。

愚かな私は、「正社員の派遣社員」としていくつかの現場を回ってようやく気付きましたから。

「あっ、社会には意識せずともぶち当たってしまう階層があるんだな」って。

私以外は皆、そのことを少なくとも就活の時には知っていた訳です。学校では教えてくれませんでした。

プライベートでも、誰も知らない本社の名前を言うより皆が知っている派遣先の名前を言った方が話が進むのです。

同い年で仕事の内容がほとんど変わらなくても、大企業に勤めていたら何倍もボーナスを貰っているのです。

出世する人は上には媚びへつらい、部下にはパワハラするのです。

大企業なら、残業や出張をする度にジャブジャブお金をくれます。補償も手厚いです。休みも多分くれます。そうでなければ、「大企業」ではないです。そうだから「大企業」なのです。

ただ、こういう不条理やルサンチマンは肌で感じないと本当に理解出来ないのです。私は就職してから気付いたのです。

そして、私は色んな人になるべく早くそのことを考えて納得いく人生を送ってほしいから、こういう個人的な実感を書いて残しているのです。

就職するなら大企業が良いですよ。どうせ会社なんて本質的には変わらないのだから。

人間は所詮生物だから、自分が思っているよりも金や地位、女や酒が好きだということです。

私はそれから逃げた。踏み潰された。それだけの話です。

皆は就活と勉強、そしてお仕事頑張って下さい。

私は頑張らなくても良いと思いますけど、あなたは違うかもしれない。

では、さよなら。

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