ネタバレあり。作品の鑑賞を前提としています。
映画『TENET』の個人的な感想と解説です。
IMAXレーザーで2回目の鑑賞も終わり、自分の中で『TENET』という作品をようやく消化することが出来たので、感想を書いておきます。
【世界観編】と【メタ視点編】という鑑賞者側の理解、制作者側の理解という挟み撃ち構成で書いて行こうと思いますが、書きたいことが多すぎてどこから始めるかというのが問題です。
目次
はじめに
評価:星5★★★★★
評価は最大評価の星5です。この作品にはあらゆる面で驚かされました。クリストファー・ノーラン作品の中で、現時点での集大成かつ最高傑作だと思っています。これについては【メタ視点編】で制作者側の理解という視点から詳しく書いて行きます。
そしてまずはじめに、『TENET』について私自身も随分と色んな解説や感想を読んだのですが、私はそれとは違う切り口でこの『TENET』という作品について語りたいということがあります。
特に『TENET』では「逆行」という独自の世界観が用いられており、それは一種の映画的な開発といえるもので、他の人も随分それに関する感想や解説を書いているのですが、私は少々それらとは異なる感想を抱いたのです。
従って、作品に関する科学的な説明や状況説明については改めて行う気はありません。(エントロピーとは何だとか、逆行セイタ―がどうだとか)
これらは他の人達が明確にやっているので私がやる必要がないというのもありますが、私的には世界観を理解さえすれば、もっとスムーズに理解できるのではないかということです。
「逆行」という世界観について
まず、この『TENET』という作品の世界観の核をなす「逆行」というシステムについて述べていくことにしますが、私は初見時、この「逆行」という世界観について以下の文章が頭に浮かびました。
われわれの時間と逆の方向にすすむ時間をもつ知的生物体を空想することは、きわめておもしろい知的実験である。そのような生物がわれわれと通信することは不可能であるにちがいない。彼がわれわれに向かって送る信号は、論理の順序が逆になってわれわれに達するであろう。
(中略)
もし彼がわれわれに正方形を描いてみせるとすれば、(中略)われわれには正方形が消え去ってしまうという、まったく唐突な、しかし自然の法則によって説明できる、一つの異変事とうつるであろう。
ウィーナー『サイバネティクス』(岩波文庫第3刷)p68より
以上は、「サイバネティックス」という科学分野の創始者であるノーバート・ウィーナーが『サイバネティックス』という著書の中で「時間の方向性」について述べた箇所で出てきた思考実験です。
この場面を『TENET』の世界観に当てはめると、「正方形を描く」ことと「正方形を消す」ということは視点だけの問題で、いずれにせよ「正方形があった」・「互いに正方形に向かっていった」ということが重要だと言うことになります。
『TENET』でも序盤の「逆行」という世界観を説明する部分で、同じようなことを弾丸を用いて説明します。
弾丸を「放つ」・「落とす」という行為は見方を変える(逆再生する)と、弾丸を「キャッチする」という行為であり、それは同じであるという説明です。
ひいては『TENET』の世界観では、いずれにせよ「弾丸は何かに向かって進んだ」のだから因果的な理解は不要で、感覚的に感じろという訳です。
これは共時的な理解・感性です。過去と未来から挟み撃ちの理解を行った場合、現実を受け入れる他ないという感覚です。
この共時的な世界観は「起こったことは仕方がない」という組織(TENET)の信条や、ともかく「記録(ログ)」=何が経由されていったのかが重要であるという価値観に繋がる訳です。
そして、上で引用した部分の結論は「われわれが通信しあえる世界の中では、時の方向はどこでも同じである」というものなのですが、ウィーナーの意図はともかく、
この結論は私個人の解釈として『TENET』の世界でも同様であったと考えます。
この文脈に物理学者エディントンの用語を拝借して「時の方向=矢の進む向き」と例えた場合、『TENET』の「逆行」で変わるのは「矢の進む向き」自体でなく、それを取り巻く「風の方向」なのだと考えるからです。
すなわち、『TENET』という作品を通して、全ての登場人物は「前」へ進んでいました。
たとえ逆行状態にあったとしても、それは周りの世界の論理が逆向きになっているだけで、各登場人物は「前」に向かって進んでいる。そして起こる出来事を私達と同じように理解し、コミュニケーションすることが出来ています。
実際、カーチェイスの場面でセイターは過去(未来)の自分とリアルタイムで通信することで情報を得ています。順行世界であれ、逆行世界であれ「時の方向」は同じなのです。
逆行装置で逆行を行った場合も「時の矢」は前へと進みます。逆行世界で10年生きれば、10年老けます。ただし、過去へ10年戻ることが出来ます。
以上を踏まえて、
逆行とは、「前に進んでいるが、向かい風に押し戻されている時間の矢」の状態と考えたら良いでしょう。
つまり、基本的に『TENET』の世界は「順行方向」の時間が優勢な訳です。
未来に進む(順行)にせよ、過去に戻る(逆行)にせよ、時間は「前(順行方向)」へ進んでいきます。
(※作品中では、「前へと時間が進む勢力」が「後ろへと時間を戻そうという勢力」より優勢な間は前へと時間が進んでいくというような表現がされていました。)
それで各登場人物の視点において常に時間は前向きに進行していることは作品を通して変わりありませんでした。基本的に勢力は順行側にありますから、前(順行方向)へと大枠の時間と映画は進んでいくのです。
しかし、それすらも覆してしまうのが作中の「アルゴリズム」なのです。
(※科学的にはエントロピー増大の向きを反転させる)
「前」という概念そのものを真逆の概念である「後」にする、これが「アルゴリズム」だと説明できます。
「アルゴリズム」の起動によって、時間の矢は「後」へと「進む」ようになります。
こうなると、どうなるのかという事は私も完全には分からないのですが、順行世界での視点では「情報」を「消去」する世界になるのではないかと考えています。
つまり、順行世界で現在から未来が分からないように、逆行世界では現在から未来(順行世界における過去)について様々な情報を知っていて、それを忘却していくように「見える」のがルールになるのではないかと思います。
まあ、これは考え過ぎない方が良いというより、『TENET』については「見方を変えろ」と作中で何度も言及されているように「視点」が問題になってくる上、鑑賞者の理解(視点)というメタまで入ってくるので、因果的に上手く説明できないのです。
(※「感じろ」というメッセージを始めの方に発信したのはそのためでもあります)
ただ、少なくともそれは作品世界の終焉を意味するのであり、「アルゴリズム」が起動すればそれこそ『TENET』は二重の意味で終わりです。
もし「アルゴリズム」が起動してしったならば、作品世界の概念そのものが現実世界から全て反転してしまうので「表現(通信)不可能」な映像を映す必要があるからです。
急に画面は暗転し、劇場の照明が点灯し、係員がやってきて『TENET』はこれで終わりですとだけ伝える。作品との通信がその瞬間に途絶えてしまう。
しかし、このような作品は理解不可能なものとして受け入れられなかったでしょう。
ひいては、『TENET』と同じ方向に生きる現実世界の私達、鑑賞者側も作品を鑑賞可能だったということです。
逆行装置について
逆行装置について少しだけ。
『TENET』の「逆行装置」が素晴らしいなと思った部分は、その造形・仕組みです。
従来のタイムマシーンといえば何か乗り物に乗ってある過去の時点まで「飛ぶ」、そういう装置だった訳ですが、この逆行装置というのはそもそもタイムマシーンとは本質的に異なる上に、装置自体が時間の折り返し点となっている点でビジュアルが全く異なります。
こういう造形となったのは先程の述べた「時間の矢」の向きをそのまま180度反転させるというイメージに基づいていると思うのですが、この装置の優れた部分はその「点」で、そのまま回転するだけとなっていることです。
詳しくは【メタ視点編】に書こうと思いますが、そもそも現在が「過去」と「未来」の押し合いであると捉えないとこういう装置・ビジュアルは思いつかないのです。
作品を理解するのに必要な感覚
この『TENET』という作品を理解しようというのは、作中で何度も言われているように「見方を変える」必要がある上、最初に「感じろ」と言われている時点で野暮な行為な訳です。
しかし、それでは納得しないのが我々人間の脳、理性という解釈装置の働きであり、それで様々な解説動画や記事が存在しているのだろうと思います。
もちろん、私自身もその一人でありました。
そして、随分頭を悩ませていたのですが、
この『TENET』を理解するには「逆行」で何を行ったのかということに注目するのではなく、各シーンでその「対称点」はどこだったのかという事に注目すべき
なのではないかと考えました。
というのは、本当にこの『TENET』を前から理解しようとすると、どうしても逆行側が順行側に干渉した部分などで疑問に思う箇所が多々出てきてしまうからです。
例えば、逆行弾が逆行銃に戻る時(逆行側の撃つ動作)、順行世界でその弾はいつからあったのかというようなことは簡単に疑問に思うことが出来ます。
これに一つ答えを与えるとすれば、「そのシーンになったから存在した」と言う他ないのです。
順行・逆行が同時間軸に存在するシーンは共時的な関係で理解する以外ありません。
最初と最後からの逆算(挟み撃ち)がこの作品の全てです。
逆行銃を撃つから、ガラスに跡が存在しているのです。けれども、ガラスに跡が出来るのは、順行銃を撃つからなのです。
名もなき男を助けるから、足元に死体が何故かいきなり転がっているのです。けれども、ニールが銃で撃たれて死んだのは、主人公をかばったからなのです。
ややこしいカーチェイスシーンも、場面の最初と最後からの逆算です。
アルゴリズムをセイタ―に奪われ、キャットが逆行銃で負傷するという最後を再現するためだけに色々とやっているだけです。
途中、セイタ―を騙してキャットを助けながら、プルトニウムを保持する場面があったために車が横転していて突然逆行を始めた、そういうことです。
では、巷で囁かれている「マックス=ニール説」は?
当然、そうだと考えます。
あれこそ『TENET』の美しい回文構造の最たるもので、主人公がいるから、ニールが存在するのです。【メタ視点編】で書くつもりですが、「主人公」という「対称点」は物語の特異点であり、神的なものです。
だから、名前を付けることが出来ないということです。
この逆向きの理屈が混在した各シーンを、現実世界に存在する私達が「前」への因果関係によって理解しようとするから矛盾が生じて分からないのです。
こういう一種の悟りの境地みたいな感覚が掴めないと、この作品の細部だけを取り上げて延々と文句を言い続けたり、何とか理解しようと時間を無駄にするでしょう。
「感じろ」と、実は最初からそれだけなのです。
つまるところ、この共時的な感覚以外で『TENET』を理解しようとするのは、
「世の中ね、顔かお金なのよ」という回文に対して、「誰が言ったんだよ!」とか「どうしてそんな結論になったんだ」とかツッコミを入れるようなものだということです。
そうすると当然、全体の回文構造は崩壊してしまいます。
世界観やストーリーはあくまでも手段で、この回文構造の美しさを味わうのが『TENET』だということで、最初から最後まで観て、「あ!これ回文になっている!」と理解することが唯一鑑賞者ができることなのだろうと思います。
だから、この作品はある意味でかなり恐ろしい作品なのです。
この作品をどう観るかという態度は、翻ってそのまま現実世界をどう解釈しているのかという写し鏡になっているのです。
現実をどの視点から見ているのか、「見方を変えろ」というメッセージは監督が意図してないとしても、私達に向けられています。
「TEN」や「NET」という風に部分を見ていては意味を取り違える可能性すらあるのであって、全体で『TENET』だと理解する事に意味があるのです。
だから、2回観ましょう。
そして、因果的な説明を試みは途中で諦める。そういう態度が必要なのです。
『メイキング・オブ・TENET クリストファー・ノーランの制作現場』とIMAX鑑賞
作品自体とはあまり関係がない話ですが。
本当はこの『TENET』の感想・解説は完全なものにしたかったので、『メイキング・オブ・TENET クリストファー・ノーランの制作現場』というムック本を読んでから2回目を観に行って感想を書こうと思っていました。
しかし、私がそのムックの存在を知ったのが遅く、本屋では売り切れ、さらにその入荷時期も入荷部数も分からないという状態でしたので、泣く泣く2回目を先に観に行ったという訳です。
鬼滅に押されてIMAXレーザーの枠も減っていたので、本を待っていたら劇場で見る機会を逃してしまうと思ったのです。
そして、私は2回目の『TENET』鑑賞にあたり、IMAXレーザー(本来のIMAX映像)を初めて体験してきました。
このIMAX設備を備えた劇場というのが私の得た情報が正しければ日本に2か所しかなく、東京の池袋?と大阪の万博公園だけとなっているのです。

IMAXカメラがどうなっているのかというのは私も詳しくないのですが、映像をそのまま楽しもうと思った時にスクリーンが大きくないとダメなので、設備を大きく出来る場所にしかないということで、わざわざ遠くまで行かないとIMAXが楽しめないのです。
ただ、その分初めてのIMAX鑑賞は、かなり良かったです。
始めの方はカメラの映像そのままで「撮っている感」が強くて失敗したかなと思ったのですが、時間が経つにつれ全く気にならなくなっていました。
何と言ったらいいのか分からないのですが、映像が全てシームレスに見えるので、そのまま映像に溶け込むことが出来るんですよね。鑑賞に邪魔なものは少なくとも視覚的には一切ありませんでした。

遠いので全ての新作映画をIMAX鑑賞する訳にはいきませんが、IMAXカメラにこだわってきたノーラン作品はまたIMAX鑑賞してみてもいいと思いました。
また機会があればIMAX鑑賞してみてください。
では、さよなら。